2018年6月29日金曜日

「マニラ日本語キリスト教会」取り組み

今回はマニラにある「マニラ日本語キリスト教会MJCC)https://mjcc.jimdo.com/ の取り組みを紹介したいと思います。私自身二度ほど訪問させていただき、C-BTEパラダイムはこの国のためにあるのだ、と言うことを実感させられました。はじめにMJCCの牧会上の責任を持ち、取り組まれているゲレロ馨先生の証言です。順次、取り組まれての証しを紹介します。


                                                                                       ゲレロ 馨  
   
MJCC(マニラ日本語キリスト教会) 2009年まで約20年間英国人の宣教師ジューン・グリフィス先生が牧会されたキリスト者の群れです。その20年間、主にマニラに日本の会社から派遣された駐在の家族や留学生が集う集会(JCF Japanese Christian Fellowship)でした。2-3年毎に本帰国になり、入れ替わりが多い群れでしたから、数名の永住している会員とジューン先生が教会としての存続の細い線を守ってきたました。宣教師であるジューン先生は伝道に燃え、多くの人たちがイエス・キリストに出会い日本へ帰国していきました。とても愛と配慮にあふれた婦人宣教師の牧会を通して、素直にみ言葉を読み主に聴く姿勢が備わっていたと思います。

2009年のジューン先生の退職帰国を機に、MJCCは無牧という状態がしばらく続きました。そのころは、世界の経済的不況の影響で日本の企業も駐在員を派遣する数が減っていることも重なって、ほとんどの信徒が永住者になり以前と割合が逆転していきました。信徒数名が説教を担当し他の奉仕もそれぞれの責任を自主的に果たし、なんとか礼拝と諸集会を行っていました。私も婦人の聖書の学びの会などをお手伝いはしていましたが、ある時に、MJCC一人の姉妹が末期の癌と診断され、姉妹の霊的ケアーを依頼されたのがきっかけでMJCCとだんだん深く関わることになりました。しかし、日本から宣教師としてフィリピンに遣わされた8年後にフィリピン人の夫と出会い、結婚後も立場は違っても奉仕の場はほとんどフィリピン人の関わりであったことから日本人の教会で奉仕することは一時的だと考えていました。また、すでに主任牧師を求めて信徒たちは祈っていました。主任牧師が与えられたら、その時には私も以前の働きに戻ろうと考えていました。

そしてついに日本の教会を退職された牧師夫妻が来てくださることになりました。それが、2012年でした。しかしながら、体調を崩され2013年には辞職し帰国されることになってしまったのです。この道が閉ざされてしまったことで、これからどうするか、仕切り直して皆さんと主に求めることになりました。その結果、指導者を養成する必要を確認し、次の年に主に導かれた数人の方々が通信で聖書を学び訓練を受けるということになりました。通信教育があるいくつかの聖書学院、神学校の中で、これだというプログラムを役員会で確認して、学校にも問い合わせ、一時帰国した兄弟も学校を訪問し、次年度に始める準備をしていました。そして、20142月に願書を出そうとした時に、なんとその通信教育プログラムが廃止されたことが判明したのです。その時に、なぜ、と本当に困惑しました。牧師招聘も閉ざされ、通信教育の道も閉ざされ、主にMJCCはどのように進んで行ったらいいのでしょうか、と問いかけながら、その一週間を過ごしました。もう一度、神学校のホームページを検索していきました。けれども、通信講座があってもふさわしいプログラムはなかなか見つからず、半分諦めていたような時に仙台バプテスト神学校のC-BTEのサイトが目に留まり、その内容を読んでみました。読んでいるうちに、主がこの学びをMJCCに導かれているという思いが沸きあふれてきて、その時、実は十分な理解はできていなかったのですが、早速、MJCCの役員に、紹介しました。C-BTEに出会うために、すべての門が閉ざされたのではないか、という思いも与えられたのです。それは、とても不思議でした。しかし、その内容をもっと詳しく知るために基本原則の本を取り寄せて読んでも、誰もよく把握できませんでした。テキストを取り寄せる際にメールで交信している中、仙台バプテスト神学校校長にの森谷師ご自身が自ら直接紹介できる機会があればいいのですが、という内容があるメールをいただき、役員ともども図々しいとは思ったのですが、マニラに来ていただくことを打診したところ快く承諾してくださったのです。そして森谷先生ご夫妻を7月にお迎えし、C-BTEのパラダイムと基本原則シリーズについての概要を説明していただきました。

ほとんどの教会員が参加したのですが、森谷先生には申し訳なかったのですが、多分、90%の参加者は理解できなかったと思います。また、私を含む10%は一応理解はしたが、何か平衡感覚を失ってしまうような感じを受けました。今までの聖書、教会、信仰者の歩みについての理解が振られ、揺り動かされたような気持と同時に、これは何か良い変革をMJCCに起こしてくれるという期待が一緒にあったことを覚えています。

よくわからないまま、この基本原則を理解していけるのだろうかという不安がなかったわけではありません。けれども、一緒にやっていこうという思いは一致していました。祈って求めた結果、C-BTEに導かれたという確信は動かず、主にすべてを委ねて出発することになりました。最初は月一回有志が小グループで学び始めましたが、予習をしてくる人としていない人がいること、参加出来る人が毎回違うことなどが理由で学びの成果はあがらず、集中できずにいました。数か月間、進んで行けないジレンマもありました。これからどうするか、と知恵を求め始めました。MJCCは礼拝集会をしている場所から、バラバラに住んでいるメンバーから構成されており、地域教会とは呼べないような教会です。それは、この首都圏、人口1千3百万人の中に日本人が2万人しかおらず、MJCCだけが日本語で礼拝を守っている教会ということも大きな要因です。(他の2,3のマニラ近郊の教会は日比、すなわち、日本語と英語もしくはピリピノ語での礼拝で、日本人フィリピン人が半々の群れです。また規模も小さいです。)中心的なメンバーの住居は、南、南東、北50kmと離れています。一緒に集まれるのは日曜日しかありません。礼拝後にはいろいろな奉仕の会も週ごとに予定されて月一回が限度でした。そこで、「文明の利器」であるインターネットの会議アプリを使って週日に一緒に学ぶことを考えてみました。そして、4人の兄弟と3人の姉妹がこの学びに参加することを約束してくれたのです。

フィリピンはアジアではインターネットが一番整備されていない国だという悪評があります。ですから、時々不通になったり、雑音が入ったりというような障害があったにもかかわらず、2年間、ほとんど休まず、週ごとに私を含む8人で基本原則シリーズの学びを完了することができました。また、共にした学びが楽しく、このような一致した思いは、御聖霊の助けと導きがなくてはできなかったことです。主日礼拝では説教の替わりに、基本原則シリーズから教えることになり、この学びに参加していないメンバーにも浸透するように心がけました。

基本原則シリーズを学んでから2か月過ぎたころには、参加メンバーの教会に対する思いがすっかり変わっていきました。また、家族や夫婦の関係についても主の思いを理解し違う見方が与えられ、家族への思いが変えられてきました。聖書のすばらしさに心がぐいぐい惹かれていったことも事実です。そして、いつのまにか、教会自体に変化が現れてきました。MJCCは日本の教会に比べると、フィリピンの陽気さの影響を受けてか、以前から明るい雰囲気がある教会ではあったのですが、この学びを始めてから、主にある一致や主が求めておられる宣教に対しての思いが強くなり、お互いの重荷を一緒に負っていこうという積極的な愛の姿勢が見られ、神の家族としての絆が太くなってきました。また、新しく英語教室や母親読書教室など、外への働きも与えられてきました。

2017年6月に、森谷先生ご夫妻に再びマニラに来ていただいて私たちの取り組みの確認をしてもらいました。今度は基本原則シリーズの学びを理解した後での先生からの講義と交わりを通して、更に教会を建て上げるための必要な学びと励ましをいただきました。その中から一つ試みることになったのが、問答式, 参加型の聖書の学びを礼拝で取り入れることでした。

その時間を「バイブルタイム」と読んでいますが、週のはじめに箇所と質問がメールで礼拝出席者に配信され、予習をして礼拝に臨みます。リーダーは、基本原則シリーズを終了した8人が順番に担当しています。ある兄弟は、クリスチャンホームで生まれ育ち、受洗してから20数年経っていますが、はじめて真剣に聖書を読み主から多くのことを教えられていると証してくれました。また、基本原則シリーズは、完了した兄弟姉妹によって新しく教会に加わった方たちや関心のある方たちに学びが提供されています。MJCCに関わっている方たちにはできる限り学んでいただくという方針で継続されています。

また、マニラ日本語キリスト教会としてフィリピンの国で宗教法人登録を行ってから、20年以上投票して毎年役員を決めていたのですが、来年度から、複数の長老を任命して、教会の監督として群れを率いてもらうように導かれています。そのために、候補となっている兄弟たちが、必要な学びをし、教会の奉仕の働きを整えれるように今準備をしています。それは、やはり、基本原則シリーズの学びを通して、教会が一人の牧会者だけに頼るということから、“卒業”して長老たちが教会を守り、導くことが重要であることを確信させられたからです。

これからも、MJCCは学びを続けて主の教会が建て上げられるように祈りながら歩んでいけるようにと努めます。主がこのC-BTEに出会いを与えてくださったことを感謝し、また、C-BTEの取り組みが日本の教会でも豊かに大きく用いられるようにも祈り続けていきます。

クリスチャンホームで育ち、日本、フィリピンで多くの教会とのかかわりの中で歩んできたのですが、このような素晴らしい出会いに喜びを持つとともに、もっと早く出会っていたなら、という少し残念な思いもあります。いろいろな問題点に聖書的に解決の糸口があることを教えてくれたはずでした。フィリピンの教会にも何らかの形でこのC-BTEの概念を紹介できればという思いも抱きながら、拙い証を終えさせていただきます。