2020年4月27日月曜日

解説:「C-BTEマニフェスト」基本理解1「パウロのサイクル」


C-BTEのパラダイム:アンテオケ声明書:C-BTEマニフェスト」:基本理解30

C-BTEChurch Based Theological Education)の「基本理解30」はアンテオケモデルの30の主要な考え方、すなわち、教会がどのようにして自然発生的に増え広がって行ったかについて「使徒の働き」が示している聖書のモデルに基づくものである。

 

C-BTEマニフェスト」基本理解1: 「パウロのサイクル」

教会の働きの基本は、大局的に見て望ましい町々に福音を宣べ伝え、教会を建て上げ、その教会を健全に訓練された指導者に委任していくことである。

 

解説:パウロが主の宣教命令に応えて宣教活動を始めた拠点教会「シリヤのアンテオケ教会」の始まりは実に不思議な経緯の中で誕生した。

 使徒の働き11:1922 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。

「主の宣教大命令」は12使徒たち託された。しかしエルサレム教会、ペテロをはじめ使徒たちは異邦人に向かうことに躊躇している様子が伺えます。そうした中で生まれて間もないエルサレム教会に起こった問題、給食配給の問題克服のために選ばれた「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」、いわゆる七人のヘレニストたちによって宣教は展開されました。そして世界宣教の拠点教会、シリヤのアンテオケ教会の誕生はこの人たちによる宣教の果実であったのです。彼らの大胆な宣教活動にいきり立った人物こそ、後に主の宣教大命令を実現したパウロでした。彼、サウロはナザレの一派こそユダヤの伝統を覆す輩と考え、根絶を願って迫害の先頭に立ったのです。その途上で復活の主との出会いが神の救いのご計画に対する理解を180度大転換させられることになりました。そのパウロがバルナバを介してアンテオケ教会に導かれわけです。

 主イエス・キリストのご在世当時、弟子たちに「もうひとりの助け主」聖霊が遣わされることを約束されていた(ヨハネの福音書)。復活の主は真理の御霊を介して使徒として召されたパウロに「奥義としての教会」が開示されたのです。パウロ書簡はそれを明らかにしています。

 「使徒の働き」を読んでいくとパウとが召された後、シリヤのアンテオケ教会を拠点として第一次、第二次、第三次と展開されピリピの教会、さらにエペソの教会が拠点となり、近隣の諸都市に主の群れが生まれ、支援がなされています。さらにローマ帝国の首都ローマへと宣教は広がっていきました。注目すべきはローマ16章、Ⅰコリント16章の記録にあるように宣教の広がりには多くの同労者、いわゆるフルタイムの伝道者だけでない多くの建て上げられた、委任された同労者が「主の宣教大命令」を担っていたこということです。

 つまり、「主の宣教大命令」に応えて託された教会にあって主体的な宣教戦略を構築することです。