2018年7月26日木曜日

「マニラ日本語キリスト教会」での取り組み(7)


引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みの証しを紹介します。


信仰生活の目標が明確に
            梅澤 功

私は2010711日にマニラ日本語キリスト教会で洗礼を受け現在に至っています。初めて教会の扉を開けてから約1年で洗礼へと導かれましたが、当時は牧師が不在でした。そのせいか信仰生活においてわからないことや疑問は自分で調べるという習慣がつきました。言い換えるなら独学の学びです。C-BTEの学びを始める前は聖書箇所を読み、その箇所から「神のみこころとは何だろう」というデボーションが中心だったような気がします。聖書箇所の12節を心に留め、箇所全体を注意深く読むということをしていませんでした。また、言葉の意味をはっきり理解するような学びもしていませんでした。ですので、御言葉を注意深く堅実に学ぶのではなく、どちらかというと直感的に御言葉を捉えるというような、そのような聖書の読み方をしていたと思います。
C-BTEのテキストを初めて手に取り一読した時、「ディダケー」「ケリュグマ」という言葉を初めて知りました。また「基本原則」「ソクラテス式問答」「地区教会」といった普段聞き慣れない言葉が沢山ありました。また、質問も難しく、これから始まるC-BTEの学びに「自分はみんなについて行けるのだろうか」と、一抹の不安を感じていました。しかし、毎週土曜日に8人で学びの回数が増えていくうちに不安は徐々に解消されていきました。毎週各質問からの兄姉の回答は自分には気づくことができない驚きがありました。また、皆で学ぶことの楽しさや喜びを感じるようになっていきました。
 私がC-BTEの学びを通して特に驚いたことは「文献に当たる」でした。いくつか例をだしてみますと、「次世代を築く」から投資について。今まで投資とは自分のことだけ、個人的なものだと思っていました。しかし、自分たちの教会や福音のための投資する学びは私にとって新しい発見でした。「教会に対する神のヴィジョンを理解する」の三課からには、「伝道の究極の目的は神の似姿に近づくことなどです。」には「う~ん」と、うならされずにはおられませんでした。
 信仰生活とはイエス・キリストと個人的な繋がりが強調されるような面があります。もちろん繋がりは大切だと思います。おそらく私もC-BTEの学びをしていなかったら繋がりに重点を置いた信仰生活を送ったことと思います。ですので、教会を建て上げるパウロのサイクル、世界規模の教会、教会の中心性を考えることなどは無縁だったでしょう。しかし、C-BTEの学びを通して「神のご計画」「教会」「建て上げる」「神の家」などといった「共同体」をより強く意識するようになりました。神のご計画の永遠の成就はキリストの体である教会を通して教会が中心である。キリストの体である教会がいかに大切かということを学ぶことができました。
 霊性は、思いやりの通う教会の中で最も成長することを「家族の家族に属する」の中で学びました。聖霊は色々なところで、他の人を通して私たちに働かれます。信徒それぞれが霊的成長を目指し、キリストの体を全員で建て上げていく。C-BTEの学びを通して信仰生活の目標が明確になりました。目標を実現するためにも脱ぎ捨てた古い人を着ることなく新しい人を身にフイットさせ、成熟したキリスト者に変えられるように聖霊の助けを借りながら歩んでまいりたいと思います。

2018年7月24日火曜日

「マニラ日本語キリスト教会」の取り組み(6)



引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みむ会員の証しを紹介します。

C-BTEの学びを通して与えれた恵みと励まし       佐々木優子


聖書は矛盾がなく一貫した書物であること、また明確な真理がそこにあることもCBTEを学ぶ以前より頭では理解していても、それを言葉で表現することは容易ではありませんでした。
 CBTEの学びは、理解と応対に苦しむことも多々ありましたが、御言葉の表面的な意味の理解にとどまらずに、それの意図することを文献などに触れることで多方面から考える機会を与えられました。また、基本原則の適応や生活の一新を考慮していくことで、生活について原則をもとに振り返り、挑戦する機会もいただきました。一貫した学びの過程を踏んでいくなかで、進行に伴い、聖書の理解・奥義についての新たな発見や深まりを感じることができました。それは日々の大きな励ましとなり、また説明を求められた際に、相手の状況に応じて確信をもってふさわしい言葉かけをしていくことへの扉が開かれたように感じました。CBTEの学びは、未確定であった点と点が次第にその濃さが増し加えられ、そして線で少しずつ繋がっていく様だと感じました。その過程は、本当に喜びと恵み、そして励ましでした。
 CBTE の学びをとおして、教会自体の存在への感謝、またそれに属している喜びと恵みを覚え、主にある神の家族との交わりを心から味わう機会を与えられました。このような大きな気付きを与えてくれた学びに心から感謝し、一人でも多く方が恵みに満ちた学びを行われることを心から祈念いたします。

2018年7月20日金曜日

「マニラ日本語キリスト教会」の取り組み(5)


引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みむ会員の証しを紹介します。


C-BTE 証  白瀬直幸

私は、MJCCで受洗して14年目になり現在59歳のフィリピン在住の会社員です。これから私がC-BTEの学びを通してどのように変わったかをお証させていただきます。
私たちMJCCは、教会員 二十数名の小さな群れです。その小さな群れの中から8名で毎週土曜日の夜にインターネットで音声をつなぎ協力牧師の馨先生のリードでテキストの一課ずつの学びをスタートしました。学び方は自分で前もってその日に行うC-BTEテキストの質問に対する答えを一つ一つ用意して、当日の土曜日に8名それぞれの答えを聞き、自分の答えをあらためて確認します。

今その学びを一通り終えて、以前私が持っていた教会に対する考え方が大きく違うことがわかりました。以前の私の教会に対する考え方は、礼拝日を守るためだけの教会で、その場所に集まり礼拝が終わると各々がそれぞれの生活場所へと帰ってゆく、教会に対して何と薄っぺらで小さな理解だったのでしょう。教会はキリストを頭とする体であり、今持っている私たち自身の体と同じように健康な状態を保ち成長し、その状態をケアし続ける必要があるということ、神様は、体である教会にイエス様を与えてくださったことを理解できたことは、頭を後ろからハンマーでなぐられたような衝撃でした。(実際にハンマーで頭を殴られた経験はありませんが。) 

自分の教会に対する考えが、新たにされた一つは、教会を構成している体のそれぞれの部位として、私たち一人一人の結びつきを霊による家族の中の兄弟姉妹として毎日の歩みの中で関わりを持ち、お互いの関係を強め問題や喜び等を共有し、協力して祈り、教会を堅く建たせる事、それは牧師先生に全て一任して丸投げせずに我々信徒が行うべきことであるということ。また教会を堅く建ち上げ健康な状態で成長させるためには、皆が真理に一致した理解が必要なため、弟子訓練が必要になります。既に小グループでその学びがスタートしております。

新たにされた二つ目は、教会内での役割が必要であり、その役割の中で奉仕に携わるということ。そんなのは当たり前のことと言われてしまいそうですが、以前MJCCには専属牧師の先生がいらっしゃりキリストの体としての教会を維持し成長させることを全てその先生が行ってきました。もちろんその先生ご本人はそんな事を口に出して言いませんが、今思うと大変なご苦労をかけてしまっていたと思います。その後ご高齢になられた理由で先生はイギリス本国へ帰国され、今の協力牧師で有られる馨先生が与えられ現在も適切なアドバイスをたくさんいただいておりますが。その馨先生のアドバイスとリードでこのC-BTEの学びをスタートすることが出来たのです。話が少し横に反れましたので元に戻しますが、我々のMJCCを一つの船に例えたとした場合、わずか  二十数名程度の小さな群れですから小さな小舟に例える事が出来ると思います。この小舟に乗りこんでゴールである御国の港までの航海は、航行に必要な役割を皆で分担しなければなりません。豪華客船のお客様として船に乗りこんだわけではありません。私たちは小舟のクルーなのです。乗組員で有れば役割があるのは当たり前です。その役割を強制的に押し付けられてこなすのではなく、主から与えられた奉仕に対して主と共に喜びに満たされ、責任を自覚して自分個人としてもそうですが、教会全体としても皆で一致してこのようにあるべきだと思うようにもなりました。
その結果与えられた奉仕に積極的によろこびを持って、関わり歩む事が出来、その事をとおして主に栄光を帰す事が出来、それらの事が組み合わされて健康な体である教会が形成されて維持されることによって成長に繋がることをC-BTEの学びの中で確信し実践しております。

2018年7月14日土曜日

「マニラ日本語キリスト教会」のC-BTE取り組み(4)


引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みの証しを紹介します。

 C-BTE「基本原則シリーズ」を学んで          

加村いずみ

  約2年の学びを一応 終え 今 思う事は、準備の為の時間が与えられ、学びの時に メンバーそれぞれのみ言葉に対する考え、思い、気づき、などを知る事が出来 恵みの時であったと感謝しています。体力、気力、記憶力など衰えを感じ、疲れを感じる事もありました。しかし、なんとか続ける事が出来た事も イエス様の励まし、支えがあった事を覚え 感謝です。

 私は、神さまとの関係は、私と一対一の関係で十分と思ってきたような気がします。このすばらしい神さまを、私たちに何をなさって下さったかを家族だけには知ってほしいと 祈っても、周りの人たちに知らせたいという思いは、今ほど強く思う事はありませんでした。家族、友だち それも神さまの話をしてもよさそうな人と、自分で境界線を引いていたようです。教会に集い教会員と共に 賛美し礼拝を捧げてきた中で、教会、神の家族という事をも、今ほど考え、思う事もなく過ごしてきたように思います。
教会は、何の為に なぜ建てられたのかを学ぶうちに、人間の欠け、弱さをご存知の主が頭となって下さり、今も生きて そこに集う者一人、一人を導いて下さる事を知る事が出来ました。その中でなぜか使徒信条が心に沁み入りました。

学びが進むうちに、パウロのあの途切れる事なくわきあがるに情熱は、どこから来るのだろうと思うようになりました。彼の霊的な賜物、高い教育を受けた事から来る能力、性格、特に彼の霊的な経験など いろいろと思い 私には 何もないなあ〜と思う事も度々 ありました。

エペソ4432. 2コリント12章から励ましをうけ、教会員一人 一人がお互いに〜し合う、助け合う 、支え合う、祈り合う、など 私たちが主に愛されている者として 愛し合い、主が与えて下さった家族としてありのままの一人 一人を受け入れる大切さを学びました。
弱さと欠けを持った人々の中、問題のない家族などないでしょう。だからこそ、一致する大切さ、祈る大切さも学びました。一致する為には基が必要です。一人、一人が 毎日のみ言葉から聴き イエス様の姿に倣い、共に歩んで行く喜び、楽しさを強く感じ サタンの誘惑を避ける力をいただく大切さも学びました。

罪を赦された解放感、喜びなど次の時代に継いでいく大切さも学び、これも、また イエス様から委ねられたものと受けとめています。私自身聖霊のお働きにゆだね 祈り、整えていただく必要があります。毎日の生活の細々とした事 全てにイエス様からの知恵をいただき、生かされている者としての感謝と喜びを現していきたいと思っています。救われた事の意味、私が今 与えられている神の家族、教会の中での使命、福音を外に伝える使命をおぼえつつ、できる事を一つずつ あせらず たゆまず させていただきたいと思っています。

2018年7月12日木曜日

「マニラ日本語キリスト教会」C-BTEの学び(3)

証し ー C-BTEに取り組んで  

Ariel Geronimo ゲロニモ アリエール 

I was baptized in MJCC in 2004 after 38 years of trying to grow in faith relying in my own effort. My understanding of the Gospel when I was still a Catholic has to be unlearned and I needed to start to live a faith according to grace and being filled by the Holy Spirit, forgetting about self-righteousness, self-reliance and self-help. Suddenly growing in faith becomes full reliance on God. For so many years I tried to understand and practice that concept of full reliance on God basically on my own but my auto-pilot most of the time would direct me to controlling my own conditions and situations. While it was already clear to me I need to get rid of my own self-will and control, my effort fails most of the time. Though there was a little change I was still the temperamental, fast-phased and relying on my own wisdom to deal with many problems. I was trying to be a good Christian without the perspective of growing in faith as a member of the Church and without the intention of strengthening the church, only as an individual Christian.

私は2004MJCCでバプテスマを受けましたが、それまでの38年間、信仰は自分の努力にかかっていると信じ、日々励んでおりました。しかし私が以前カトリック教徒だった時に持っていた信仰理解は無知のゆえのものであったこと、そして自分は正しい、他人の指図は受けない、自分を助けるのは自分だけという思いではなく、聖霊に満たされ、恵みにより信仰に生きる生活を始める必要があると分かりました。その理解から、信仰に成長するとは神に完全に信頼することであると分かったのです。それ以来、長年、自分なりに完全に神に頼り実践しようとしてきましたが、ほとんどの場合、無意識のうちに自分の事情に合わせた行動をしていました。自分の思いと自己支配権を捨てなければならないと言うことはすでに明確なものとなっていましたが、その努力は多くの場合失敗に終わっていました。以前と比べれば少し変わって来てはいましたが、相変わらず気分屋で、変わり身が早く、多くの問題を自分の知恵で解決しようとしていました。また私は一人のクリスチャンとして良きクリスチャンであろうと努めていたのであり、教会の一員として信仰に成長しようとか、教会を堅固なものに(強く)しようという思いはありませんでした。

The CBTE study was first an eye-opener for me leading me to a vital realization that I can not grow spiritually apart from the church, which is the genuine body of Christ.  God will work  on our faith deeper when we are  directly attached to the church and function as its member. Then secondly, the more I become involved in in it, it allows me to commit myself to the challenges it presents especially in the area of defeating sin and having a mindset of joyful thanksgiving.

C-BTEの学びは初めて、キリストの真のからだである教会から離れて霊的に成長することはできないという核心的な認識へと私の目を開かせてくれました。神は私たちが直接教会につながり、その一員として機能する時、より深く私たちの信仰に働かれるのです。さらに、C-BTEの学びは、深めれば深めるほど、特に罪に打ち勝つとか歓喜に満ちた感謝の思いを持つといった領域で、目の前にある挑戦に立ち向かえるようさせてくれます。

The CBTE approach is both systematic theology and practical theology, but most importantly it is biblical theology. It encompasses the structural discussions of the church, as well as it’s functional characteristics and offer a very well-defined missional targets. No doubt the effect to the students are staggering when it comes to personal decision to the ministry in the family and the church. In my case, I was able to hone my skills for value transferences to my children. With all the foundational principles learned from all the 13 books in 3 series(14 including Teaching the First Principle), I was equipped with a spiritual eyes to see more clearly how I am performing as a husband, father, child and as a social individual. The discussion and fundamentals in the order in the family, the society and church has a big impact on my own theology and lifestyle. Though not yet still crystal clear, I gradually began to see myself whether I function according to this order and the will of God. I still have my temperaments and irritations but I’m starting to get used to the “air breaks” from the Holy Spirit.


 C-BTEの取り組みは組織神学でもあり実践神学でもありますが、もっとも重要なことは、C-BTEの取り組みが聖書神学だということです。C-BTEは教会としての姿(クリスチャンとして教会として)を話し合いますがそれだけではなく、実用的であり、明確に定義された伝道目標を与えてくれます。最終的に、家族や教会でどのようにすれば良いかを学習者自身が決めるのですからその効果は絶大です。私の場合、自分の子供たちを大切に思う気持ちを増すことができるようになりました。三のシリーズの13冊(「基本原則を教える」を含む14冊)で学んだ全ての基本原則を知る事で、夫として、父親として、子供として、どのように振る舞えば良いか、霊の目を持って、より明確に見ることができるようになりました。家族や社会、教会内での秩序に関する問答や原則は私自身の神学や人生観に大きな影響を与えています。まだ完全とは言えませんが、次第に自分が神のこの命令と御旨に従って事を行っているかどうか分かるようになってきました。未だに気性も激しく、イライラすることもありますが、徐々に、聖霊に「空気抜き」をしていただくことにも慣れてきています。

I will recommend CBTE study to anyone who is serious in living a Christian life, and strongly recommend it to everyone who wants to do serious internal or external ministry in the Church. I know now that there is no personal ministry in deeper essence, there is only the ministry of Christ. And I thank God that God through the CBTE study has been training me to submit myself to His ministry.

真剣にクリスチャン生活をしている全ての方、特に、教会内外の伝道の働きに真剣に取り組みたいと思われている方に、このC-BTEを学ばれることをお勧めします。今の私には、一番の本質にあるのは個人の働きではなく、 唯、キリストのなさる働きだと分かるようになりました。そして神がC-BTEの学びを通して神の働きに私を捧げる訓練をしてくださっていることを感謝しています。

2018年7月3日火曜日

「マニラ日本語キリスト教会」C-BTEの取り組み(2)


引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ の取り組みを紹介します。


証し:C-BTEの学び 門馬宏明

私は、20029月に当地フィリピンの教会GCF(Greenhills Christian Fellowship)という保守バプテストの教会(規模は、メガチャーチ)で救われました。その教会では、信徒の有志に対して聖書の学びの機会を与えられ、教会のクラスで学んだり、夏休みに信徒の仲間と一緒に神学校で短期集中講義を受けたこともありました。そのような学びを通して、聖書の学びのABCは、まず組織神学だと思っていました。そのような教育を受けましたし、それが当たり前だと思っていました。聖書を学問的に分類し、神、キリスト、教会、罪、救い、人間、終末などように体系建てて勉強しました。テキストは、M.J.エリクソンのキリスト教神学をつかっていました。今考えると、この聖書の学びの目的は、何だったのだろうか。聖書に関する知識は身につきましたが、それを用いるための知恵は、その学びを通しては与えられませんでしたし、考えても見ませんでした。知識を深めることで満足しておりました。教会を建て上げ、信仰を継承していくために、教会が信徒一人ひとりを教育・訓練し育てていくなどという発想は一切なく、真剣に聖書を学びたい人は、神学校に行くのが普通だと考えていました。組織神学を勉強するということは、神学という学問としての学びであり、その学びは教会や信徒個人への適用という面がなかったように記憶しています。

 これに対し、C-BTEの教育は、地域教会生活に根ざしたものであり、組織神学を通して考える聖書の解釈とはまったく違った新しい(本来の)聖書の解釈の仕方を教えていることに気づかされました。まさに、目からうろこのような気分を味わいました。但し、実際は、C-BTEの学びに取り組み始めたころ(3年前)は、得体の知れない教材を手にし、少し半信半疑で取り組み始めたことを思い出します。特に、出だしで少し躓いた感じがありました。C-BTE の学びの一番最初は、基本原則ですが、このテキストが難解で、とっつきにくいものでした。基本原則の概念に関する聖句としてコロサイ268節が示されているのですが、それが腑に落ちるまで2年以上かかりました。テキストは、オリジナルの英語版を翻訳しているからだと思いますが、時々しっくり来ないことがありました。

前述の問題を解決したのは、201791日のC-BTEのブログです。タイトル: 鍵となる概念:「聖書の基本原則」です。この補足説明を読んで、ずっと胸につかえていたものが、ストンと落ちたようにスッキリしました。このブログが立ち上がったことには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。このブログ、https://c-bte658.blogspot.com/  C-BTEのテキストを補完するものとしてなくてはならない、わかりやすく解説された大切なものだと思いました。このブログの内容もテキストと一緒に出版されることを祈っております。

私の場合は、シリーズを一度学び終えていますが、それを何度も何度も繰り返すことで、より確かなものとしていかなければと思っています。2回目、3回目で前に見えなかった基本原則が見えてくることがあるからです。

 さて、C-BTEを学んでよかったと思う点をまとめてみます。

聖書研究の目的が明確になった点
単に、個人の信仰を強めるだけが目的ではなく、教会を建て上げ、そして次世代に信仰を継承してくという目的意識が芽生えたこと。

聖書研究のやりかたを正すことができた
 聖書を神学者が紐解いた組織的な体系で整理して勉強していても、自分の人生が新しく変わることは難しいが、このC-BTEの基本原則シリーズにそって、聖書を勉強すると、自分の人生が神様の目的に添って変えられているような気がします。
また、聖書をどのように読むかに関して、次のようにC-BTEのテキストから確信を得ることができ喜んでおります。(以下:聖書研究の基本原則8ページから)
聖書に基本原則が存在する。基本原則は、各教会宛に書かれた書簡の中にあり、信徒は読んで見つけ出すように求められている。
教えの中心はパウロの手紙の中にあり、それを理解する鍵がルカの福音書と使徒の働き、他の書簡はこの教えを補完するものであり、他の福音書はキリストとに関する知識を補完する。

C-BTEによって変えられた自分の人生観
 教会への所属意識が強められました。今までは、とりあえず今住んでいるところにある教会で礼拝をしているだけで、時が来れば、どこにでも転会するという感覚で、今の自分の所属教会を見ていましたが、C-BTEの学びを通して、所属している教会の信徒一人一人と同じ神の家族という意識が強く芽生えました。

C-BTEによって教会が聖書的に変えられ、新しく堅固な土台の上に建てかえられ始めている
 組織や規約の変更、礼拝のプログラムなどが 新しくなり、礼拝が生き生きとしています。とくに、礼拝の中の説教(メッセージ)を問答形式の聖書の学びに変えたことは、教会と信徒一人一人の成長(礼拝に参加する姿勢)に大きな影響をもたらしたと思います。但し、問答形式の学びの進め方に関しては、まだまだ改良していかなければならない点が多々あるかなと感じています。これまで、2回リーダーの奉仕をしましたが、進め方が非常に難しいと感じました。是非一度他の教会でうまく行われている問答形式の聖書の学びを視察できたらいいなと思っています。 
 また、MJCCは、主任牧師(OMF宣教師)が英国に帰国された後、外から牧師を招聘することを試みましたが、それが実現しませんでした。そして、教会の中からリーダーを育てて行こうということで皆が一致していることも、C-BTEから受けた恵の一つだと思っています。

最後に、C-BTEが益々日本及び世界の教会で取り入れてられるように、お祈りします。

2018年6月29日金曜日

「マニラ日本語キリスト教会」取り組み

今回はマニラにある「マニラ日本語キリスト教会MJCC)https://mjcc.jimdo.com/ の取り組みを紹介したいと思います。私自身二度ほど訪問させていただき、C-BTEパラダイムはこの国のためにあるのだ、と言うことを実感させられました。はじめにMJCCの牧会上の責任を持ち、取り組まれているゲレロ馨先生の証言です。順次、取り組まれての証しを紹介します。


                                                                                       ゲレロ 馨  
   
MJCC(マニラ日本語キリスト教会) 2009年まで約20年間英国人の宣教師ジューン・グリフィス先生が牧会されたキリスト者の群れです。その20年間、主にマニラに日本の会社から派遣された駐在の家族や留学生が集う集会(JCF Japanese Christian Fellowship)でした。2-3年毎に本帰国になり、入れ替わりが多い群れでしたから、数名の永住している会員とジューン先生が教会としての存続の細い線を守ってきたました。宣教師であるジューン先生は伝道に燃え、多くの人たちがイエス・キリストに出会い日本へ帰国していきました。とても愛と配慮にあふれた婦人宣教師の牧会を通して、素直にみ言葉を読み主に聴く姿勢が備わっていたと思います。

2009年のジューン先生の退職帰国を機に、MJCCは無牧という状態がしばらく続きました。そのころは、世界の経済的不況の影響で日本の企業も駐在員を派遣する数が減っていることも重なって、ほとんどの信徒が永住者になり以前と割合が逆転していきました。信徒数名が説教を担当し他の奉仕もそれぞれの責任を自主的に果たし、なんとか礼拝と諸集会を行っていました。私も婦人の聖書の学びの会などをお手伝いはしていましたが、ある時に、MJCC一人の姉妹が末期の癌と診断され、姉妹の霊的ケアーを依頼されたのがきっかけでMJCCとだんだん深く関わることになりました。しかし、日本から宣教師としてフィリピンに遣わされた8年後にフィリピン人の夫と出会い、結婚後も立場は違っても奉仕の場はほとんどフィリピン人の関わりであったことから日本人の教会で奉仕することは一時的だと考えていました。また、すでに主任牧師を求めて信徒たちは祈っていました。主任牧師が与えられたら、その時には私も以前の働きに戻ろうと考えていました。

そしてついに日本の教会を退職された牧師夫妻が来てくださることになりました。それが、2012年でした。しかしながら、体調を崩され2013年には辞職し帰国されることになってしまったのです。この道が閉ざされてしまったことで、これからどうするか、仕切り直して皆さんと主に求めることになりました。その結果、指導者を養成する必要を確認し、次の年に主に導かれた数人の方々が通信で聖書を学び訓練を受けるということになりました。通信教育があるいくつかの聖書学院、神学校の中で、これだというプログラムを役員会で確認して、学校にも問い合わせ、一時帰国した兄弟も学校を訪問し、次年度に始める準備をしていました。そして、20142月に願書を出そうとした時に、なんとその通信教育プログラムが廃止されたことが判明したのです。その時に、なぜ、と本当に困惑しました。牧師招聘も閉ざされ、通信教育の道も閉ざされ、主にMJCCはどのように進んで行ったらいいのでしょうか、と問いかけながら、その一週間を過ごしました。もう一度、神学校のホームページを検索していきました。けれども、通信講座があってもふさわしいプログラムはなかなか見つからず、半分諦めていたような時に仙台バプテスト神学校のC-BTEのサイトが目に留まり、その内容を読んでみました。読んでいるうちに、主がこの学びをMJCCに導かれているという思いが沸きあふれてきて、その時、実は十分な理解はできていなかったのですが、早速、MJCCの役員に、紹介しました。C-BTEに出会うために、すべての門が閉ざされたのではないか、という思いも与えられたのです。それは、とても不思議でした。しかし、その内容をもっと詳しく知るために基本原則の本を取り寄せて読んでも、誰もよく把握できませんでした。テキストを取り寄せる際にメールで交信している中、仙台バプテスト神学校校長にの森谷師ご自身が自ら直接紹介できる機会があればいいのですが、という内容があるメールをいただき、役員ともども図々しいとは思ったのですが、マニラに来ていただくことを打診したところ快く承諾してくださったのです。そして森谷先生ご夫妻を7月にお迎えし、C-BTEのパラダイムと基本原則シリーズについての概要を説明していただきました。

ほとんどの教会員が参加したのですが、森谷先生には申し訳なかったのですが、多分、90%の参加者は理解できなかったと思います。また、私を含む10%は一応理解はしたが、何か平衡感覚を失ってしまうような感じを受けました。今までの聖書、教会、信仰者の歩みについての理解が振られ、揺り動かされたような気持と同時に、これは何か良い変革をMJCCに起こしてくれるという期待が一緒にあったことを覚えています。

よくわからないまま、この基本原則を理解していけるのだろうかという不安がなかったわけではありません。けれども、一緒にやっていこうという思いは一致していました。祈って求めた結果、C-BTEに導かれたという確信は動かず、主にすべてを委ねて出発することになりました。最初は月一回有志が小グループで学び始めましたが、予習をしてくる人としていない人がいること、参加出来る人が毎回違うことなどが理由で学びの成果はあがらず、集中できずにいました。数か月間、進んで行けないジレンマもありました。これからどうするか、と知恵を求め始めました。MJCCは礼拝集会をしている場所から、バラバラに住んでいるメンバーから構成されており、地域教会とは呼べないような教会です。それは、この首都圏、人口1千3百万人の中に日本人が2万人しかおらず、MJCCだけが日本語で礼拝を守っている教会ということも大きな要因です。(他の2,3のマニラ近郊の教会は日比、すなわち、日本語と英語もしくはピリピノ語での礼拝で、日本人フィリピン人が半々の群れです。また規模も小さいです。)中心的なメンバーの住居は、南、南東、北50kmと離れています。一緒に集まれるのは日曜日しかありません。礼拝後にはいろいろな奉仕の会も週ごとに予定されて月一回が限度でした。そこで、「文明の利器」であるインターネットの会議アプリを使って週日に一緒に学ぶことを考えてみました。そして、4人の兄弟と3人の姉妹がこの学びに参加することを約束してくれたのです。

フィリピンはアジアではインターネットが一番整備されていない国だという悪評があります。ですから、時々不通になったり、雑音が入ったりというような障害があったにもかかわらず、2年間、ほとんど休まず、週ごとに私を含む8人で基本原則シリーズの学びを完了することができました。また、共にした学びが楽しく、このような一致した思いは、御聖霊の助けと導きがなくてはできなかったことです。主日礼拝では説教の替わりに、基本原則シリーズから教えることになり、この学びに参加していないメンバーにも浸透するように心がけました。

基本原則シリーズを学んでから2か月過ぎたころには、参加メンバーの教会に対する思いがすっかり変わっていきました。また、家族や夫婦の関係についても主の思いを理解し違う見方が与えられ、家族への思いが変えられてきました。聖書のすばらしさに心がぐいぐい惹かれていったことも事実です。そして、いつのまにか、教会自体に変化が現れてきました。MJCCは日本の教会に比べると、フィリピンの陽気さの影響を受けてか、以前から明るい雰囲気がある教会ではあったのですが、この学びを始めてから、主にある一致や主が求めておられる宣教に対しての思いが強くなり、お互いの重荷を一緒に負っていこうという積極的な愛の姿勢が見られ、神の家族としての絆が太くなってきました。また、新しく英語教室や母親読書教室など、外への働きも与えられてきました。

2017年6月に、森谷先生ご夫妻に再びマニラに来ていただいて私たちの取り組みの確認をしてもらいました。今度は基本原則シリーズの学びを理解した後での先生からの講義と交わりを通して、更に教会を建て上げるための必要な学びと励ましをいただきました。その中から一つ試みることになったのが、問答式, 参加型の聖書の学びを礼拝で取り入れることでした。

その時間を「バイブルタイム」と読んでいますが、週のはじめに箇所と質問がメールで礼拝出席者に配信され、予習をして礼拝に臨みます。リーダーは、基本原則シリーズを終了した8人が順番に担当しています。ある兄弟は、クリスチャンホームで生まれ育ち、受洗してから20数年経っていますが、はじめて真剣に聖書を読み主から多くのことを教えられていると証してくれました。また、基本原則シリーズは、完了した兄弟姉妹によって新しく教会に加わった方たちや関心のある方たちに学びが提供されています。MJCCに関わっている方たちにはできる限り学んでいただくという方針で継続されています。

また、マニラ日本語キリスト教会としてフィリピンの国で宗教法人登録を行ってから、20年以上投票して毎年役員を決めていたのですが、来年度から、複数の長老を任命して、教会の監督として群れを率いてもらうように導かれています。そのために、候補となっている兄弟たちが、必要な学びをし、教会の奉仕の働きを整えれるように今準備をしています。それは、やはり、基本原則シリーズの学びを通して、教会が一人の牧会者だけに頼るということから、“卒業”して長老たちが教会を守り、導くことが重要であることを確信させられたからです。

これからも、MJCCは学びを続けて主の教会が建て上げられるように祈りながら歩んでいけるようにと努めます。主がこのC-BTEに出会いを与えてくださったことを感謝し、また、C-BTEの取り組みが日本の教会でも豊かに大きく用いられるようにも祈り続けていきます。

クリスチャンホームで育ち、日本、フィリピンで多くの教会とのかかわりの中で歩んできたのですが、このような素晴らしい出会いに喜びを持つとともに、もっと早く出会っていたなら、という少し残念な思いもあります。いろいろな問題点に聖書的に解決の糸口があることを教えてくれたはずでした。フィリピンの教会にも何らかの形でこのC-BTEの概念を紹介できればという思いも抱きながら、拙い証を終えさせていただきます。