2018年10月6日土曜日

聖書に戻って再考する聖書の意図

聖書に戻って再考することなくしてパラダイム転換の必要性を実感することはありませんし、ましてや「C-BTEパラダイム」の確かさを実感することも困難です。なぜなら、私たちはすでに2000年の歴史の中で聖書の意図とは異なるパラダイムに基づいて聖書を読み、考えキリスト信仰を形作っているからです。それが完全否定されるものではないもの、それがゆえに聖書の意図に基づいた神の家族教会共同体を建て上げていないとしたら真剣に再考すべきです。そのために啓示の書である聖書、つまり使徒時代、その初代教会に、そしてそれに続く使徒後時代に戻って再考してみることです。啓示の書、聖書に基づいて考えない限り真の意味でのパラダイム転換は実現しないからです。

 使徒時代、主の宣教大命令に応え、逡巡しながらもエルサレムからローマへと宣教が展開していきました。文字通り地理的な広がり、信じる信者の数を増していきました。そして生まれた教会に送られた書簡を見ると、教会が様々な問題を直面するごとに、使徒たちに教えられ、訓戒、励まされながら質的にも成長していった様子を読み取れます。新たに召された使徒パウロの存在とその働き、そのパウロに示された奥義としての教会は啓示の圧巻として注目させられます。

ところが意外な反応が帰って来ます。「あのパウロの宣教によって生まれた教会はどうなったのか、とりわけ小アジアの拠点であったエペソ教会とそのネットワークの諸教会は皆無だ、世界宣教の拠点になったシリアのアンテオケ教会も今はない」、「改めて聖書に戻って再考する意味、意義はどれほどあるのか」と。

 時代の変化と共に教会の変化(いわゆる「パラダイム」の変化)に注目すべきです。聖書時代、それに続く使徒後時代の教会は息つく暇なく迫害が続いたわけではありませんが、決して居心地の良い環境ではありませんでした。むしろキリスト者であるがゆえに排斥され、時には迫害を受け、命の危険にさらされていました。キリスト教会は当時のローマ帝国の公認宗教団体でもなかったのです。しかし、キリストの神の家族共同体から次の新しい共同体へと次々と広がっていったことは事実です。そしてローマ帝国が二分三分する中でコンスタンティヌス大帝がローマ帝国の再興に力を発揮しました。そして313年、コンスタンティヌス大帝はキリスト教会を公認し、保護するようになりました。それはキリスト教会の真の意味での勝利というものではありません。むしろキリスト教会に託された奥義が変質していく岐路でもあったのです。聖書の意図とは次元の異なるパラダイムへと移行していったのです。キリストの救いが何であるのか、救われた者がどのような人生を建て上げていくのか、信仰のもっとも大切な「使徒たちの教え」の部分が省略されていきます。そして典礼中心の信仰生活へと変質していきます。世俗的なキリスト信仰に対する反動として禁欲を美徳とする修道院、もっともこの時点では共同体というより個人的でしたが、この頃から生まれています。

さらに380年代には公認宗教から国教化され、制度的安定、見た目の安定がありますが、霊的、質的には大きく後退です。そして100200年、300年と続き、「中世カトリシズム」が体系化されていきます。そして起源600年代にイスラムの出現が東方教会を拡散させ、弱体化しています。その後、十字軍の派遣で多少盛り返すも、15世紀にオスマン帝国時代に東方教会の中心都市コンスタンチノープルはイスラムの重要な拠点としてイスタンブールとなりました。東方から西方に移った教会が中世カトリシズム、ヨーロッパキリスト教世界を作り上げていきます。この延長線上に16世宗教改革が起こります。その一人マルチン・ルターは救いの確かさを求めて中世カトリシズムのパラダイムに徹して追求し続けます。その最良の道が修道士になることでした。が、しかし、ますます不安と絶望感に陥ります。そうした中で聖書に向き合うように指導され、聖書の意図を再考する中で初めて信仰の何であるかを確信したのです。こうして宗教改革の二大原理、「信仰のみ、聖書のみ」が確立していきました。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモテ3:16-17)

聖書(旧約聖書)の意図を明らかにしたイエス・キリストの教え、もう一人の助け主、聖霊によって主イエス様の意図を明らかにされた使徒たちの教え、健全な教え、キリストによる基本原則が健全なクリスチャン人生を建て上げ、神の家族共同体、主の教会を建て上げることになるのです。教会も聖霊によって主イエスが啓示された神の奥義です。それ以外の教え、議論は「信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません」(Ⅰテモテ1:4)でした。

「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」(Ⅱペテロ1:20-21)。
今、必要なことは聖書の意図に添った聖書の原則に基づく聖書の解釈です。

2018年8月27日月曜日

「マニラ日本語キリスト教会」での取り組み(8)


 

自分の考え方を見直すことができたC-BTEの学び

             ヘロニモ幸代

C-BTEの学びによって、私は 自分の考え方を見直すことができました。主なものは四つあります。

まず、何よりも一つ目は、自分のことを省みるようになりました。
私はもともと、人の目を気にして生きることは、自分の美的感覚に反すると思っており、人がどう見ようと、どう思おうと関係なく、自分の納得する道を生きることが美しいと思っている人間でした。傲慢な考え方だったと思います。
C-BTEの学びの中では、自分の態度や思いをいつも省みることを促されました。自分が周りの人からどのように見えるかということにも心を砕き、クリスチャンとして証できる生き方をするべきだと思わされるようになりました。一緒に学んでいる仲間たちが、クリスチャンとして自分を律し、それを周りの人に見てもらうことで証できるように努めていることも知りました。自分の好きなように生きていた自分が恥ずかしいと思いました。召された者としての責任ということを、初めて考えるようになりました。なかなかタイミングよく証を直接にすることは難しいですが、間接的にも証できるように、自分を省みて、クリスチャンとして恥ずかしくない生き方をするように、今は気をつけるようにしています。

二つ目は、聖書の理解について。
私は以前は、聖書というのものは牧師などの専門家に「 教えてもらう」ものと思っていました。
もちろん自分でも聖書を読みますが、 ちゃんとした理解をするには、 手ほどきしてもらわないといけない、という印象がありました。C -BTEの学びでは、 聖書は誰でも読むとわかるものだと教わりました。もちろん注解書などで勉強することは大切です。ただ神は聖書を普通の人がわかるように書かれている、 ということは、私には新鮮でした。そして、牧師に頼っていてはダメで、自分で理解しそしてそれを周りの人にも伝えていけるようにならないといけないのだと、はっきり知るようになりました。

三つ目は、秩序について。
私はクリスチャンでなかった頃は、フェミニズムに関心を持ってよく読んでいましたし、女性も男性と同等であるべきであり、見下される筋合いはなく、また女性も一人前でなくても良いとされる風潮に甘えてはいけないと思っていました。今でもある程度、そう思いますが、C-BTEを学んで考え方が大きく変化したのは、夫との関係です。妻と夫はなんでも言い合える関係が理想的であると思っていましたが、なんでも思っていることを言うことは、相互理解が深まることとイコールではないと学びました。
夫は妻のかしらであり、自分の思いがどうであれ、夫の意見を尊重すること、そうやって妻が夫に従う態度を明らかにすることは、主の知恵なのだと理解しました。夫はどう思っているかわかりませんが、私自身は、以前よりもずっと夫に対して自己主張をしなくなりました。文句が言いたい状況でも、まずは黙ることを覚えました。以前の私からは全く考えられなかった態度です。この夫に対する自分の態度の変化は、私自身非常に画期的だと思っていますが、夫は今も妻はあまり従ってくれないと思っているようなので、まだまだ修行が足りないのかもしれないです。

四つ目は、教会の重要さです。
C-BTEの学びに入る前までは、教会とはキリストの教えを学ぶところ、同じ信者と共に礼拝するところ、という認識しかなかったように思います。しかしC-BTEでは、教会とは神様のご計画を実現するためのメインツールであることを学びました。教会というものが、そのような神の壮大な計画を動かすために備えられたものであると知ったことは、大きな驚きでした。教会の働きをとても大切なものとして捉えることができるようになりました。自分たちが召されてMJCCという教会に置かれているのも、神様の計画の実現の一部であり、自分の教会が主の働きにしっかり従事していけるように奉仕することが大切だということもわかりました。

以上が主な自分の考え方の変化です。こうした認識の変化から、さらに自分の変化が実を結ぶまでにはなかなか至っていないように思いますが、主に助けていただきつつ、兄弟姉妹たちと共に、主に忠実に歩んでいけたらと願っています。

2018年7月26日木曜日

「マニラ日本語キリスト教会」での取り組み(7)


引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みの証しを紹介します。


信仰生活の目標が明確に
            梅澤 功

私は2010711日にマニラ日本語キリスト教会で洗礼を受け現在に至っています。初めて教会の扉を開けてから約1年で洗礼へと導かれましたが、当時は牧師が不在でした。そのせいか信仰生活においてわからないことや疑問は自分で調べるという習慣がつきました。言い換えるなら独学の学びです。C-BTEの学びを始める前は聖書箇所を読み、その箇所から「神のみこころとは何だろう」というデボーションが中心だったような気がします。聖書箇所の12節を心に留め、箇所全体を注意深く読むということをしていませんでした。また、言葉の意味をはっきり理解するような学びもしていませんでした。ですので、御言葉を注意深く堅実に学ぶのではなく、どちらかというと直感的に御言葉を捉えるというような、そのような聖書の読み方をしていたと思います。
C-BTEのテキストを初めて手に取り一読した時、「ディダケー」「ケリュグマ」という言葉を初めて知りました。また「基本原則」「ソクラテス式問答」「地区教会」といった普段聞き慣れない言葉が沢山ありました。また、質問も難しく、これから始まるC-BTEの学びに「自分はみんなについて行けるのだろうか」と、一抹の不安を感じていました。しかし、毎週土曜日に8人で学びの回数が増えていくうちに不安は徐々に解消されていきました。毎週各質問からの兄姉の回答は自分には気づくことができない驚きがありました。また、皆で学ぶことの楽しさや喜びを感じるようになっていきました。
 私がC-BTEの学びを通して特に驚いたことは「文献に当たる」でした。いくつか例をだしてみますと、「次世代を築く」から投資について。今まで投資とは自分のことだけ、個人的なものだと思っていました。しかし、自分たちの教会や福音のための投資する学びは私にとって新しい発見でした。「教会に対する神のヴィジョンを理解する」の三課からには、「伝道の究極の目的は神の似姿に近づくことなどです。」には「う~ん」と、うならされずにはおられませんでした。
 信仰生活とはイエス・キリストと個人的な繋がりが強調されるような面があります。もちろん繋がりは大切だと思います。おそらく私もC-BTEの学びをしていなかったら繋がりに重点を置いた信仰生活を送ったことと思います。ですので、教会を建て上げるパウロのサイクル、世界規模の教会、教会の中心性を考えることなどは無縁だったでしょう。しかし、C-BTEの学びを通して「神のご計画」「教会」「建て上げる」「神の家」などといった「共同体」をより強く意識するようになりました。神のご計画の永遠の成就はキリストの体である教会を通して教会が中心である。キリストの体である教会がいかに大切かということを学ぶことができました。
 霊性は、思いやりの通う教会の中で最も成長することを「家族の家族に属する」の中で学びました。聖霊は色々なところで、他の人を通して私たちに働かれます。信徒それぞれが霊的成長を目指し、キリストの体を全員で建て上げていく。C-BTEの学びを通して信仰生活の目標が明確になりました。目標を実現するためにも脱ぎ捨てた古い人を着ることなく新しい人を身にフイットさせ、成熟したキリスト者に変えられるように聖霊の助けを借りながら歩んでまいりたいと思います。

2018年7月24日火曜日

「マニラ日本語キリスト教会」の取り組み(6)



引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みむ会員の証しを紹介します。

C-BTEの学びを通して与えれた恵みと励まし       佐々木優子


聖書は矛盾がなく一貫した書物であること、また明確な真理がそこにあることもCBTEを学ぶ以前より頭では理解していても、それを言葉で表現することは容易ではありませんでした。
 CBTEの学びは、理解と応対に苦しむことも多々ありましたが、御言葉の表面的な意味の理解にとどまらずに、それの意図することを文献などに触れることで多方面から考える機会を与えられました。また、基本原則の適応や生活の一新を考慮していくことで、生活について原則をもとに振り返り、挑戦する機会もいただきました。一貫した学びの過程を踏んでいくなかで、進行に伴い、聖書の理解・奥義についての新たな発見や深まりを感じることができました。それは日々の大きな励ましとなり、また説明を求められた際に、相手の状況に応じて確信をもってふさわしい言葉かけをしていくことへの扉が開かれたように感じました。CBTEの学びは、未確定であった点と点が次第にその濃さが増し加えられ、そして線で少しずつ繋がっていく様だと感じました。その過程は、本当に喜びと恵み、そして励ましでした。
 CBTE の学びをとおして、教会自体の存在への感謝、またそれに属している喜びと恵みを覚え、主にある神の家族との交わりを心から味わう機会を与えられました。このような大きな気付きを与えてくれた学びに心から感謝し、一人でも多く方が恵みに満ちた学びを行われることを心から祈念いたします。

2018年7月20日金曜日

「マニラ日本語キリスト教会」の取り組み(5)


引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みむ会員の証しを紹介します。


C-BTE 証  白瀬直幸

私は、MJCCで受洗して14年目になり現在59歳のフィリピン在住の会社員です。これから私がC-BTEの学びを通してどのように変わったかをお証させていただきます。
私たちMJCCは、教会員 二十数名の小さな群れです。その小さな群れの中から8名で毎週土曜日の夜にインターネットで音声をつなぎ協力牧師の馨先生のリードでテキストの一課ずつの学びをスタートしました。学び方は自分で前もってその日に行うC-BTEテキストの質問に対する答えを一つ一つ用意して、当日の土曜日に8名それぞれの答えを聞き、自分の答えをあらためて確認します。

今その学びを一通り終えて、以前私が持っていた教会に対する考え方が大きく違うことがわかりました。以前の私の教会に対する考え方は、礼拝日を守るためだけの教会で、その場所に集まり礼拝が終わると各々がそれぞれの生活場所へと帰ってゆく、教会に対して何と薄っぺらで小さな理解だったのでしょう。教会はキリストを頭とする体であり、今持っている私たち自身の体と同じように健康な状態を保ち成長し、その状態をケアし続ける必要があるということ、神様は、体である教会にイエス様を与えてくださったことを理解できたことは、頭を後ろからハンマーでなぐられたような衝撃でした。(実際にハンマーで頭を殴られた経験はありませんが。) 

自分の教会に対する考えが、新たにされた一つは、教会を構成している体のそれぞれの部位として、私たち一人一人の結びつきを霊による家族の中の兄弟姉妹として毎日の歩みの中で関わりを持ち、お互いの関係を強め問題や喜び等を共有し、協力して祈り、教会を堅く建たせる事、それは牧師先生に全て一任して丸投げせずに我々信徒が行うべきことであるということ。また教会を堅く建ち上げ健康な状態で成長させるためには、皆が真理に一致した理解が必要なため、弟子訓練が必要になります。既に小グループでその学びがスタートしております。

新たにされた二つ目は、教会内での役割が必要であり、その役割の中で奉仕に携わるということ。そんなのは当たり前のことと言われてしまいそうですが、以前MJCCには専属牧師の先生がいらっしゃりキリストの体としての教会を維持し成長させることを全てその先生が行ってきました。もちろんその先生ご本人はそんな事を口に出して言いませんが、今思うと大変なご苦労をかけてしまっていたと思います。その後ご高齢になられた理由で先生はイギリス本国へ帰国され、今の協力牧師で有られる馨先生が与えられ現在も適切なアドバイスをたくさんいただいておりますが。その馨先生のアドバイスとリードでこのC-BTEの学びをスタートすることが出来たのです。話が少し横に反れましたので元に戻しますが、我々のMJCCを一つの船に例えたとした場合、わずか  二十数名程度の小さな群れですから小さな小舟に例える事が出来ると思います。この小舟に乗りこんでゴールである御国の港までの航海は、航行に必要な役割を皆で分担しなければなりません。豪華客船のお客様として船に乗りこんだわけではありません。私たちは小舟のクルーなのです。乗組員で有れば役割があるのは当たり前です。その役割を強制的に押し付けられてこなすのではなく、主から与えられた奉仕に対して主と共に喜びに満たされ、責任を自覚して自分個人としてもそうですが、教会全体としても皆で一致してこのようにあるべきだと思うようにもなりました。
その結果与えられた奉仕に積極的によろこびを持って、関わり歩む事が出来、その事をとおして主に栄光を帰す事が出来、それらの事が組み合わされて健康な体である教会が形成されて維持されることによって成長に繋がることをC-BTEの学びの中で確信し実践しております。

2018年7月14日土曜日

「マニラ日本語キリスト教会」のC-BTE取り組み(4)


引き続きマニラにある「マニラ日本語キリスト教会」(MJCC):https://mjcc.jimdo.com/ のC-BTE取り組みの証しを紹介します。

 C-BTE「基本原則シリーズ」を学んで          

加村いずみ

  約2年の学びを一応 終え 今 思う事は、準備の為の時間が与えられ、学びの時に メンバーそれぞれのみ言葉に対する考え、思い、気づき、などを知る事が出来 恵みの時であったと感謝しています。体力、気力、記憶力など衰えを感じ、疲れを感じる事もありました。しかし、なんとか続ける事が出来た事も イエス様の励まし、支えがあった事を覚え 感謝です。

 私は、神さまとの関係は、私と一対一の関係で十分と思ってきたような気がします。このすばらしい神さまを、私たちに何をなさって下さったかを家族だけには知ってほしいと 祈っても、周りの人たちに知らせたいという思いは、今ほど強く思う事はありませんでした。家族、友だち それも神さまの話をしてもよさそうな人と、自分で境界線を引いていたようです。教会に集い教会員と共に 賛美し礼拝を捧げてきた中で、教会、神の家族という事をも、今ほど考え、思う事もなく過ごしてきたように思います。
教会は、何の為に なぜ建てられたのかを学ぶうちに、人間の欠け、弱さをご存知の主が頭となって下さり、今も生きて そこに集う者一人、一人を導いて下さる事を知る事が出来ました。その中でなぜか使徒信条が心に沁み入りました。

学びが進むうちに、パウロのあの途切れる事なくわきあがるに情熱は、どこから来るのだろうと思うようになりました。彼の霊的な賜物、高い教育を受けた事から来る能力、性格、特に彼の霊的な経験など いろいろと思い 私には 何もないなあ〜と思う事も度々 ありました。

エペソ4432. 2コリント12章から励ましをうけ、教会員一人 一人がお互いに〜し合う、助け合う 、支え合う、祈り合う、など 私たちが主に愛されている者として 愛し合い、主が与えて下さった家族としてありのままの一人 一人を受け入れる大切さを学びました。
弱さと欠けを持った人々の中、問題のない家族などないでしょう。だからこそ、一致する大切さ、祈る大切さも学びました。一致する為には基が必要です。一人、一人が 毎日のみ言葉から聴き イエス様の姿に倣い、共に歩んで行く喜び、楽しさを強く感じ サタンの誘惑を避ける力をいただく大切さも学びました。

罪を赦された解放感、喜びなど次の時代に継いでいく大切さも学び、これも、また イエス様から委ねられたものと受けとめています。私自身聖霊のお働きにゆだね 祈り、整えていただく必要があります。毎日の生活の細々とした事 全てにイエス様からの知恵をいただき、生かされている者としての感謝と喜びを現していきたいと思っています。救われた事の意味、私が今 与えられている神の家族、教会の中での使命、福音を外に伝える使命をおぼえつつ、できる事を一つずつ あせらず たゆまず させていただきたいと思っています。

2018年7月12日木曜日

「マニラ日本語キリスト教会」C-BTEの学び(3)

証し ー C-BTEに取り組んで  

Ariel Geronimo ゲロニモ アリエール 

I was baptized in MJCC in 2004 after 38 years of trying to grow in faith relying in my own effort. My understanding of the Gospel when I was still a Catholic has to be unlearned and I needed to start to live a faith according to grace and being filled by the Holy Spirit, forgetting about self-righteousness, self-reliance and self-help. Suddenly growing in faith becomes full reliance on God. For so many years I tried to understand and practice that concept of full reliance on God basically on my own but my auto-pilot most of the time would direct me to controlling my own conditions and situations. While it was already clear to me I need to get rid of my own self-will and control, my effort fails most of the time. Though there was a little change I was still the temperamental, fast-phased and relying on my own wisdom to deal with many problems. I was trying to be a good Christian without the perspective of growing in faith as a member of the Church and without the intention of strengthening the church, only as an individual Christian.

私は2004MJCCでバプテスマを受けましたが、それまでの38年間、信仰は自分の努力にかかっていると信じ、日々励んでおりました。しかし私が以前カトリック教徒だった時に持っていた信仰理解は無知のゆえのものであったこと、そして自分は正しい、他人の指図は受けない、自分を助けるのは自分だけという思いではなく、聖霊に満たされ、恵みにより信仰に生きる生活を始める必要があると分かりました。その理解から、信仰に成長するとは神に完全に信頼することであると分かったのです。それ以来、長年、自分なりに完全に神に頼り実践しようとしてきましたが、ほとんどの場合、無意識のうちに自分の事情に合わせた行動をしていました。自分の思いと自己支配権を捨てなければならないと言うことはすでに明確なものとなっていましたが、その努力は多くの場合失敗に終わっていました。以前と比べれば少し変わって来てはいましたが、相変わらず気分屋で、変わり身が早く、多くの問題を自分の知恵で解決しようとしていました。また私は一人のクリスチャンとして良きクリスチャンであろうと努めていたのであり、教会の一員として信仰に成長しようとか、教会を堅固なものに(強く)しようという思いはありませんでした。

The CBTE study was first an eye-opener for me leading me to a vital realization that I can not grow spiritually apart from the church, which is the genuine body of Christ.  God will work  on our faith deeper when we are  directly attached to the church and function as its member. Then secondly, the more I become involved in in it, it allows me to commit myself to the challenges it presents especially in the area of defeating sin and having a mindset of joyful thanksgiving.

C-BTEの学びは初めて、キリストの真のからだである教会から離れて霊的に成長することはできないという核心的な認識へと私の目を開かせてくれました。神は私たちが直接教会につながり、その一員として機能する時、より深く私たちの信仰に働かれるのです。さらに、C-BTEの学びは、深めれば深めるほど、特に罪に打ち勝つとか歓喜に満ちた感謝の思いを持つといった領域で、目の前にある挑戦に立ち向かえるようさせてくれます。

The CBTE approach is both systematic theology and practical theology, but most importantly it is biblical theology. It encompasses the structural discussions of the church, as well as it’s functional characteristics and offer a very well-defined missional targets. No doubt the effect to the students are staggering when it comes to personal decision to the ministry in the family and the church. In my case, I was able to hone my skills for value transferences to my children. With all the foundational principles learned from all the 13 books in 3 series(14 including Teaching the First Principle), I was equipped with a spiritual eyes to see more clearly how I am performing as a husband, father, child and as a social individual. The discussion and fundamentals in the order in the family, the society and church has a big impact on my own theology and lifestyle. Though not yet still crystal clear, I gradually began to see myself whether I function according to this order and the will of God. I still have my temperaments and irritations but I’m starting to get used to the “air breaks” from the Holy Spirit.


 C-BTEの取り組みは組織神学でもあり実践神学でもありますが、もっとも重要なことは、C-BTEの取り組みが聖書神学だということです。C-BTEは教会としての姿(クリスチャンとして教会として)を話し合いますがそれだけではなく、実用的であり、明確に定義された伝道目標を与えてくれます。最終的に、家族や教会でどのようにすれば良いかを学習者自身が決めるのですからその効果は絶大です。私の場合、自分の子供たちを大切に思う気持ちを増すことができるようになりました。三のシリーズの13冊(「基本原則を教える」を含む14冊)で学んだ全ての基本原則を知る事で、夫として、父親として、子供として、どのように振る舞えば良いか、霊の目を持って、より明確に見ることができるようになりました。家族や社会、教会内での秩序に関する問答や原則は私自身の神学や人生観に大きな影響を与えています。まだ完全とは言えませんが、次第に自分が神のこの命令と御旨に従って事を行っているかどうか分かるようになってきました。未だに気性も激しく、イライラすることもありますが、徐々に、聖霊に「空気抜き」をしていただくことにも慣れてきています。

I will recommend CBTE study to anyone who is serious in living a Christian life, and strongly recommend it to everyone who wants to do serious internal or external ministry in the Church. I know now that there is no personal ministry in deeper essence, there is only the ministry of Christ. And I thank God that God through the CBTE study has been training me to submit myself to His ministry.

真剣にクリスチャン生活をしている全ての方、特に、教会内外の伝道の働きに真剣に取り組みたいと思われている方に、このC-BTEを学ばれることをお勧めします。今の私には、一番の本質にあるのは個人の働きではなく、 唯、キリストのなさる働きだと分かるようになりました。そして神がC-BTEの学びを通して神の働きに私を捧げる訓練をしてくださっていることを感謝しています。