2018年8月27日月曜日

「マニラ日本語キリスト教会」での取り組み(8)


 

自分の考え方を見直すことができたC-BTEの学び

             ヘロニモ幸代

C-BTEの学びによって、私は 自分の考え方を見直すことができました。主なものは四つあります。

まず、何よりも一つ目は、自分のことを省みるようになりました。
私はもともと、人の目を気にして生きることは、自分の美的感覚に反すると思っており、人がどう見ようと、どう思おうと関係なく、自分の納得する道を生きることが美しいと思っている人間でした。傲慢な考え方だったと思います。
C-BTEの学びの中では、自分の態度や思いをいつも省みることを促されました。自分が周りの人からどのように見えるかということにも心を砕き、クリスチャンとして証できる生き方をするべきだと思わされるようになりました。一緒に学んでいる仲間たちが、クリスチャンとして自分を律し、それを周りの人に見てもらうことで証できるように努めていることも知りました。自分の好きなように生きていた自分が恥ずかしいと思いました。召された者としての責任ということを、初めて考えるようになりました。なかなかタイミングよく証を直接にすることは難しいですが、間接的にも証できるように、自分を省みて、クリスチャンとして恥ずかしくない生き方をするように、今は気をつけるようにしています。

二つ目は、聖書の理解について。
私は以前は、聖書というのものは牧師などの専門家に「 教えてもらう」ものと思っていました。
もちろん自分でも聖書を読みますが、 ちゃんとした理解をするには、 手ほどきしてもらわないといけない、という印象がありました。C -BTEの学びでは、 聖書は誰でも読むとわかるものだと教わりました。もちろん注解書などで勉強することは大切です。ただ神は聖書を普通の人がわかるように書かれている、 ということは、私には新鮮でした。そして、牧師に頼っていてはダメで、自分で理解しそしてそれを周りの人にも伝えていけるようにならないといけないのだと、はっきり知るようになりました。

三つ目は、秩序について。
私はクリスチャンでなかった頃は、フェミニズムに関心を持ってよく読んでいましたし、女性も男性と同等であるべきであり、見下される筋合いはなく、また女性も一人前でなくても良いとされる風潮に甘えてはいけないと思っていました。今でもある程度、そう思いますが、C-BTEを学んで考え方が大きく変化したのは、夫との関係です。妻と夫はなんでも言い合える関係が理想的であると思っていましたが、なんでも思っていることを言うことは、相互理解が深まることとイコールではないと学びました。
夫は妻のかしらであり、自分の思いがどうであれ、夫の意見を尊重すること、そうやって妻が夫に従う態度を明らかにすることは、主の知恵なのだと理解しました。夫はどう思っているかわかりませんが、私自身は、以前よりもずっと夫に対して自己主張をしなくなりました。文句が言いたい状況でも、まずは黙ることを覚えました。以前の私からは全く考えられなかった態度です。この夫に対する自分の態度の変化は、私自身非常に画期的だと思っていますが、夫は今も妻はあまり従ってくれないと思っているようなので、まだまだ修行が足りないのかもしれないです。

四つ目は、教会の重要さです。
C-BTEの学びに入る前までは、教会とはキリストの教えを学ぶところ、同じ信者と共に礼拝するところ、という認識しかなかったように思います。しかしC-BTEでは、教会とは神様のご計画を実現するためのメインツールであることを学びました。教会というものが、そのような神の壮大な計画を動かすために備えられたものであると知ったことは、大きな驚きでした。教会の働きをとても大切なものとして捉えることができるようになりました。自分たちが召されてMJCCという教会に置かれているのも、神様の計画の実現の一部であり、自分の教会が主の働きにしっかり従事していけるように奉仕することが大切だということもわかりました。

以上が主な自分の考え方の変化です。こうした認識の変化から、さらに自分の変化が実を結ぶまでにはなかなか至っていないように思いますが、主に助けていただきつつ、兄弟姉妹たちと共に、主に忠実に歩んでいけたらと願っています。