2017年10月31日火曜日

地域に貢献する教会(4)

お金について(2)

前回、神の再創造の御業として教会は地域の繁栄のために、教会内外において貢献する共同体であること、そのために「お金」、富は貢献する資源の一つとして大切なものであることを確認しました。それだけに建て上げられるクリスチャンは自分に与えられた能力を最大限生かして額に汗する労働、かつ創造的に収入を得る働き考えるべきであることについて考えました。それだけに聖書の意図をしっかり捉える必要があります。

Ⅰテモテ6:8-10: 衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

Ⅰテモテ6:17-19: この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。

これらのみことばから推論できる原則、富に関する6つの主要概念を確認できます。
 1、富める者は、物惜しみすべきでない、
 2、富める者は、自分の富を楽しむ自由を持つ、
 3、富のゆえに、人生の本質を見失う可能性がある、
 4、富を永遠のために投資することもできる、
 5、富のゆえに、悪の支配に委ねる人生を送る可能性がある、
 6、富は、福音に基づく「良いわざ」を行う一つの手段として与えられている。

教会が誕生して間もない頃、バルナバのように捧げものはとてつもなく高額になることありました(使徒4:32-35)。持てる者ではありますが、助けを必要としている主にある兄弟姉妹に対する真実な愛に基づくものでした。つまり、献げ物は高額になることも常に想定すべきであること、必要に応じてはその年の収入をはるかに超える捧げものになることもあると言うことです。この文脈で登場するアナニヤ、サッピラ夫妻のように(使徒5:1-5)、人々の関心、人々の評価を得ようとする見せかけの献金は福音進展にとって重大な妨げとなるし、神はそれを決して許容されない、ということを示しています。とかく神の家族の中で「多くの献金をする人は信仰共同体の中で重要な人物である」という誤った認識を持ってしまいやすいことへの警告です。

むしろピリビの教会に習うべきです。

 ピリピ1:4-62:25: 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。

 ピリピ4:10-14: 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。

 ピリピ4:15-20: ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

1、主の宣教大命令に応え、福音進展への参加はすべての教会の基本の基本です。
つまり、教会を建て上げることに労する人々のため、人と資金を長期にわたって投資することも意味しています。これは目先の教勢拡大にあるのではなく、神の再創造の御業として神の家族、教会共同体の建て上げとその広がりにあります。その共同体は地域の繁栄に寄与・貢献する共同体です。

2、主にある投資は大きな喜びを与えます。
実際の奉仕の働き以上に、心から捧げる人に、投資する者に大きな喜びを与えてくれます。

3、直接従事者の豊かさと欠乏: 福音の進展に直接従事している人は豊かも、時には欠乏をも覚悟すべきであるということです。神の恵みに応え、福音のもたらす幸いをひとりでも多くの人に伝えたい、また、多くの助けを必要としている人々のために真心から愛の手を差し伸べることができる人生、福音に基づくクリスチャン人生を過ごせる器を一人でも多く建て上げるために献身する主の働き人は、時には物質的な乏しさをも覚悟の上、献身しています。

さらにコリント教会、テサロニケ教会の例をみてみましょう。

Ⅰコリント9:14: 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。

Ⅰテサロニケ2:9: 兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

Ⅱテサロニケ3:8-9: 人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。

1、指導者の覚悟: 必要とあれば、自分たちの必要を自ら満たすことも辞さない覚悟が求められています。そのためにクリスチャン人生建て上げにおいて、最初から持って生まれた能力、賜物を見出し、磨き上げておく必要があります。

2、生活能力を磨き、確保する:福音の働きに携わる人たちは、その働きで報酬を得られないときに備える必要がある、ということです。
 同時に、主にある兄弟姉妹は主の働き人に任の重さを理解すべきです。

3、伝道者、牧師の働きは、時には非常に重圧の大きい精神的・肉体的労働であることについて、しっかり捉えておきたいものです。

 教会の側から、主にある兄弟姉妹の立場から主の働き人を考える時、「牧師給をどうすか」という発想からではなく、その働き、任務からから考え、純粋に愛の支援という発想で働き人の必要、家族の必要を考え、それを具体化すべきであろうと思います。主の働き人はその真実な愛がわかれば金額を越えた感謝と信頼関係を築いていくものです。

まとめ:
① 種にあって、気前良くある: 富める者は、自分の豊かさを楽しみつつ、真の生き方を見失わないようにすべきです。(参照:Ⅰテモテ6:17-19

② 自分たちの財を分け合う: 神の家族共同体が、助けを必要としているときには使徒バルナバのように財を分け合う。

③ 自分に栄誉帰さない: 栄光は神に帰せよ。

④ 犠牲をいとわない: 教会を生み出す働き、運動は犠牲をいとわない満たしを必要としているゆえに、コリント教会の献金に倣いたい。

⑤ 小さな教会でもできる限り捧げよ: 教会を生み出す運動は、基金や人を送ることによって貢献することができる(参照:ピリピ教会の働き)

⑥ 働き人は献身し、諸教会から支えられるべきである: (参照:コリント9章)、
同時に、働き人は、喜んで自分の仕事に取り組み(天幕造り:この意味はアルバイトではなく、自らの技能)、教会の重荷、躓きにならないようにとり組む。各個教会の長老たちは、その働きのゆえに経済的なサポートによっても尊敬されるべき(参照:Ⅰテモテ5:17)。

⑦ 教会の発展は、財政と一体である: 私たちの犠牲的な献げ物なしに、教会の発展はありえない(参照:コリント8,9章)。


⑧ 「教会」とは何かを理解せよ: 神の目的のうちに計画された再創造に御業としての教会とはどのようなものか、「信仰による神の救いのご計画の実現」からそれを完全に理解するとき、私たちはその中で用いられ、「良いわざ」の必要に見合う者とされる。

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