基本理解16: 「救済と開発・発展」
危機的な状況にある地域の教会を支えている世界中の教会ネットワークがまず世界規模で必要な救済と開発・発展へ寄与しなければならない。そうすることで教会は様々なクリスチャンNGOにこの働きを単に委託せずに、これら危機的な状況にある地域の救済と開発・発展のために、もっと幅広い社会生活基盤整備ができ、一つの共同体となれるものである。
解説:この基本構想が実現可能となる前提として、この後に取り上げる「貢献者として仕える家族」、「町の繁栄を求め、寄与・貢献する」教会、その教会のネットワークが構築されてこそ、と言えるテーマです。
キリスト教系のNGO団体がいくつかあります。教会はそうした団体のニュースレターを読み心からの支援献金を贈っておられると思います。それだけに個々の教会はこのテーマをあえて取り上げないし、取り上げようという意識もありません。C-BTEパラダイムを考えたときに「教会とは何か」その使命は、と問い続けていくと「主の宣教大命令」は確かに宣教そのものの実践であるのですが、宣教は福音に基づく「良いわざ」と切り離せないものであることがわかります。こうした理解を共有する教会がネットワークを構築し、危機的な状況にある地域の救済、発展に寄与・貢献することです。
「アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」シリヤのアンテオケ教会が、大飢饉のゆえに助けを必要としているエルサレム教会に救援物資を送ることを決め、バルナバ、サウロ(後のパウロ)の手によって長老たちに贈った(使徒11:27~30)とあります。ローマ人への手紙15章25~27節でパウロは「聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。」と訴えています。Ⅰコリント16章1~3節に献金の勧めがありますが、やはり「私がそちらに行ったとき、あなたがたの承認を得た人々に手紙を持たせて派遣し、あなたがたの献金をエルサレムに届けさせましょう。」と記しています。さらにⅡコリント8章1~15節にマケドニアの諸教会が極度の貧しさの中にあっても「聖徒とたちをささえる交わりの恵みにあずかりたい」と「惜しみなく施す富となった」と証言し、そしてコリントの教会に対して「今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。」と記しています。さらにガラテヤ人への手紙では2章10節「ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。」と証言しています。
パウロの「献金の勧め」に注意深く読んでみると、今日私たちの教会で行っている献金とは次元の異なる取り組みに気づかせられます。その多くはエルサレムの助けを必要とする兄弟姉妹を支えるためでありました。
今日、経済的構造のゆえに称されている「発展途上国」にある諸教会の必要に応えられるならと思います。そのために教会に対する神のヴィジョンに基づく構想を持ち、実践する教会ネットワークの構築が大切です。とりわけ日本の大多数の教会は自分たちの共同体を維持するだけで精一杯、という現実を直視し、C-BTEパラダイムの理念を共有した教会がネットワークを構築し「救済と開発・発展」に取り組む教会になりたいものです。
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