2020年8月1日土曜日

解説:基本理解18:「西への戦略‐アンテオケ構想」

基本理解18: 「西への戦略‐アンテオケ構想」

西洋のキリスト教界が衰退し、ポストモダン的発想に立った脱キリスト教文化が台頭してきているという現実のただ中にあって、西洋諸国、その影響下にある国々はキリストと使徒の土台に根ざした新たな教会建て上げ構想、すなわち、アンテオケの伝統に根ざした宣教構想が必要である。

 

解説:「キリスト教」と言えばだれもがヨーロッパ西洋キリスト教界を思い浮かべると思います。この日本にある教会の多くは西洋キリスト教界から、またその伝統を踏襲するアメリカからの宣教団によって設立しています。その西洋キリスト教界はおおよそ一千年の歴史を持つローマカトリック教会において宗教改革が起こり、その後、宗教戦争も起こりましたが、カトリックとプロテスタント教会によって構成されています。さらにプロテスタント教会は近代、さらにポストモダンの中で大きく変容していきました。

40年間、インドで宣教活動し、1970年代に本国イギリスに帰国したニュービギン(Lesslie Newbigin)は教会の凋落ぶりを嘆き悲しみました。そして、西洋文化は教会にとって最も困難な土壌であり、皮肉にも「西洋キリスト教社会こそが、福音宣教が最も必要とされている場である」と激白しています。教会の真の問題は、教会の教勢、量ではなく、その質である。文化の中で、教会は何をし、何を語るか、どのようなものであり続けるか、それこそが問われるべきだ、と語っています。そして、ニュービギンの視点は宣教論再考の起爆剤となりました。啓蒙時代以降、教会は個人の価値、信仰、見解の問題としてプライベートな領域の中に追いやられていった。そして、教会は「誤ったプライベートゾーン」と「力を失ったキリスト教世界」との間に浮遊していると言う。

 世界宣教へのプロジェクトと共にニュービギンが抱いたヴィジョン、「西洋キリスト教社会こそが、福音宣教が最も必要とされている場である」ことに焦点を当てることです。

D.J ボッシュは「宣教のパラダイム転換」の中で「地区教会」の再発見、「地区教会の中心性が教会史の大部分の中で忘れられてきた」と指摘しています。

また、ローランド・アレンも現代の欧米宣教運動は根本的に新約聖書に見られる手法、すなわち「キリストとその弟子たちの手法」とは違い、色々な点で異質なものとなっている、と指摘しています。パウロの手法を間違って、部分的に真似ようという試みに失敗した時、人は「使徒の手法」は間違っており、今の時代の状況には不適切なものだ、と結論づけました。しかし実際は「使徒の手法」というものを理解しておらず、実践もしていなかっただけのことだ、と厳しい(The Spontaneous Expansion of the Church)。

 プロテスタント諸教会は16世紀「宗教改革」によって生まれました。その宗教改革者共通の問題意識は初代教会に戻って現状の教会の有り様を改革することでした。しかし、そこにはすでに限界がありました。その後の教会は近代、そしてポストモダンの中で「脱キリスト教文化が台頭してきているという現実」に直面しました。とりわけ「ポストモダン」の影響においては、キリスト教界に当たり前のように定着しているのが「個人主義」です。その反動として、まさに人間的発想のいわゆる「弟子訓練プログラム」です。

つまり、欧米のキリスト教伝統に基づく私たちの同胞の諸教会こそが「C-BTEパラダイム」を必要としている、ということです。健全な家族の建て上げ、その家族を基盤としたキリストの体なる教会、神の家族を建て上げていくことが、どの時代において、どの文化の中でも地域に貢献する教会、持続可能な教会の建て上げを実現することになるのです。


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