2020年5月1日金曜日

解説:「C-BTEマニフェスト」基本理解2:「建て上げ」


C-BTEマニフェスト」基本理解2: 「建て上げ」

福音(パウロの「初期の手紙」)に建て上げられ、教会に委ねられた働き(パウロの「中期の手紙」)を実証し、神の家族として成熟(パウロの「後期の手紙」)していく健全な教会を建て上げる過程である。

 

解説:「基本理解1」において「パウロのサイクル」つまり教会の主体的な宣教戦略を構想し、立案の必要性を考えました。その宣教戦略を実現するためには確かなクリスチャンを建て上げることが大前提になっています。それが基本理解2:「建て上げ」の意図です。

ほんとうに福音に出会いクリスチャンとして歩み出した人たちの内に生じるのは、この素晴らしい福音を身近な人たちに伝えたいという思いです。それは組織の強制感からではなく、神の愛がもたらす必然のように思われます。それが一時の思いに終わらないために牧会指導者は聖書の基本原則を教え、指導し、「建て上げ」なければなりません。つまり、福音に基づく「良いわざ」としての生き方、しかも未信者の間でも「評判の良い」生き方を確立することです。当然のことながら、それは個人に留まらず、結婚、夫婦の関係、子育て、隣人関係等を含みます(Ⅰテモテ3章)。その前提には神の創造された人間の本質でもある「額に汗して働く」、自分の必要は自分で満たす労働、職業を考えることの大切さを教え指導する必要があります。

 すでに家庭生活を営み、社会人として責任を果たしている方がクリスチャンとして歩み始めたとき、同様に聖書の基本原則に基づく生き方を再考し、聖書の倫理観、価値観に基づいて再構築し、建て上げられることが必須課題です。言い換えれば「神の再創造に御業」を個々のクリスチャン、クリスチャン家族において実現していくことです。言うまでもなく、これは個人主義とは無縁の「いのちの共同体」、神の家族共同体としての「教会」を建て上げていくことに直結する教育、訓練の「建て上げ」なのです。

 こうした聖書の意図に基づいて建て上げられたクリスチャン、その延長線上に主のいのちの共同体を治め、指導する器、執事や長老たちを建て上げることにもなります。さらには教会への神の賜物としての牧師、教師、宣教師等の主の器をも建て上げることにも通じる取り組みです。

 この際、再考したい教会の伝統に「主日礼拝」のあり方があります。「聖徒の建て上げ」は主日礼拝の説教、それも「受け身の説教」だけではクリスチャンが自ら考え、新たな一歩踏み出すクリスチャン人生を建て上げることには必ずしも十分とは言えないからです。牧師たちは「建て上げ」の目的、聖書の意図を再考し、人によっては「パラダイム転換」を決断する必要があるかも知れません。

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