2020年5月14日木曜日

解説:基本理解4: 「教え:ケリグマとディダケー」


基本理解4:「教え:ケリグマとディダケー」

初期の教会がケリグマ(福音の物語)、ディダケー(教え)と呼び、すべての信者が聖書の「基本原則」から注意深く建て上げられていく必要のある教えの中心、すなわち、キリストの教えの本質であり、書簡(手紙)そして最終的には「福音書」という形でキリストの使徒たちを通して教会に伝えられたものである。

 

解説: 聖書の「基本原則」から建て上げられるべき大前提として、創造主の存在、いのちの創造主がご自分の「かたち」として人を創造された、という理解を明確にします。「神のかたち」としての人間の存在目的、また具体的にどのような「生き方」を望まれているのかを認識します。その上で約束されたメシヤ、救い主イエス・キリストの存在と完全な贖罪の業を成し終え、復活されたキリストに注目することです。

人がクリスチャンとして歩む決断にいたるきっかけは様々です。家族関係、地域社会における人間関係、あるいは学校や職場での人間関係につまずいたり、失望している中で聖書あるいはクリスチャンに出会い受容され、慰められ、励まされてクリスチャンとしての生き方に踏み出します。また人によっては、両親がクリスチャンで自然な形でクリスチャン生活を始めている人など様々です。ここで問題になるは、その当面の問題、課題から解放された、と言うだけでなんとなくクリスチャン生活を続けている方がいるということです。もちろん自覚的に問題意識を持ち、「信仰による神の救いのご計画の実現」に至るように積極的に学び、訓練を受けている方もいます。

 いずれにせよキリストのもたらした福音に基づいてクリスチャン人生を構築する、と言う自覚、そして意志的に実際の取り組みに一歩踏み出すことが大切になります。つまり、創造主の意図、キリストにある再創造の御業としてクリスチャン生活を始めることです。なぜなら創造主が完全に備えられた救い、神の御子イエス・キリストの身代わりの死、つまり贖いによって開かれた救いは信じる信仰に始まり、さらに信仰へと進ませるものだからです。ローマ人への手紙6章を読んでいただくと明確です。核となるみことばは「6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」「6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」つまり意識、意志の伴う考え方の改革です。「注意深く建て上げられていく必要のある教えの中心、すなわち、キリストの教えの本質」であるケリグマ:福音理解です。先きに記した「私たちも、いのちにあって新しい歩みをするため」とあるように福音に基づく「新しい生き方」を実現していこう、という意志、決断です。しかも自覚的に、意志的に取り組まなければ実現しません。失敗、挫折は織り込み済みの全き恵みの神の先行的救いです。ゆえに感謝を持って「信仰に始まり信仰に進ませる」のです。

 もし最初の基本原則に取り組まなければコリント教会のクリスチャンたちが指摘されていた問題の根源、つまり「肉に属する」「キリストにある幼子」「ただの人」のような歩み、クリスチャン人生になってしまいます。「Ⅰコリント3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。--- 3:3 あなたがたは、まだ肉に属してい

るからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。」これを克服し、神の再創造に御業を実現していく唯一の道は「聖書の基本原則」から取り組むことです。

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