2020年5月11日月曜日

解説:「C-BTEマニフェスト」基本理解3:「信仰の人に委ねる」

C-BTEマニフェスト」基本理解3:「信仰の人に委ねる」

牧師は「主の宣教大命令」という観点から、「健全な教え」に教会の監督責任を委ねていける指導者、恒久的で世代間の連鎖を生み出すような次世代指導者の育成を真剣に考える必要がある。

 

解説:「信仰の人に委ねる」これはC-BTEパラダイムの核心部分として見逃せない大切な基本理解です。一般的に次世代牧師の建て上げは教派別、また超教派で存在する神学校、つまり牧師を養成する専門教育機関が担っています。入学条件は「明確な召命を得ている者」です。通常は、牧師は教育・訓練において皆無とは言えませんが、直接には関わることはなく、教育の専門家に委ね卒業を待つだけです。この結末が欧米プロテスタントキリスト教界の世俗化、その伝統を踏襲する日本のプロテスタント教会の多くが高齢化、無牧教会の広がりの現実に直面しています。外的要因としては経済構造の変革、社会構造、特に家族のあり方の変化があります。しかし、もし教会が聖書の規範、聖書の基本原則に基づいてクリスチャン、クリスチャン家族の建て上げを実践していたなら、そして「信仰の人に委ねる」ことを実践していたら危機に直面する現実の社会において、むしろ影響力をもたらす共同体としての存在になっていたはずです。

「信仰の人に委ねる」は「基本理解2:建て上げ」その延長線上にあります。つまり、聖徒の建て上げ、その先に教会への賜物としての指導者の建て上げ、委任があることに注目したい。名称はユダヤの伝統と共有するもの、たとえば「長老」などがあるが大事なことは「信仰による神の救いのご計画の実現」に至る福音理解、福音に基づく健全な教えを共有し、それに基づく「良いわざ」に生きていることです。

一例を挙げると、

使徒の働き 14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。

使徒の働き 15:2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

エペソ4:11~13 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです

テトス 1:5 私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。

Ⅰテモテ 5:17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。

ヘブル 13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。

ヘブル 13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。

ヘブル 13:24 すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。 

こうした指導者が具体的にどのような方々であったのかはⅠテモテ3章、テトス1章を読むとその人格、生きた方、そしてその役割が見えてきます。またその生き方はクリスチャン成熟の姿でもあります。牧師の役割は非常に重要です。そしてその牧師によって複数の指導者が生まれるなら、その指導者たちの中から牧師として役割を果たす器が建て上げられるのを想定することができます。さらに牧師の牧師として、「使徒的指導者」として主の宣教命令を実現していく大切な役割を果たしていくことになります。

先に言及したように、いわゆる主日礼拝の「説教」だけでは委任できる次世代の指導者、聖書の意図する指導者を建て上げることは望めません。牧師の使命として「信仰の人に委ねる」ということを真剣に考え、かつ明確な目標を持って取り組むことです。同時に、委任された次世代指導者自身はやはり次世代を建て上げ委任できる指導者になることによって「恒久的で世代間の連鎖を生み出すような次世代指導者の育成」を実現したことになります。

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