2020年5月25日月曜日

解説:基本理解7: 「教会主体の神学教育」(C-BTE:Church Based Theological Education)


基本理解7: 「教会主体の神学教育」C-BTEChurch Based Theological Education

第一義的には信仰の「基本原則」に始まる「健全な教え」を保つために必要な働きと理解される。その地区教会での生活と教会の使命と働きに深く根ざし、成長を目指す指導者と成熟を目指す信者を育て上げるために作られ本格的に秩序立てられた学びである。

 

解説:「教会主体の神学教育」とは今そこに存在する各個教会、「奥義としての教会」を基盤として「神学する」ことです。教会は神の再創造の御業としてキリストの宣教によって集められた神の家族であり、その宣教の使命を実現するために「いのちの交わり」において「神学する」ことです。

聖書の「基本原則」から始まる、とありますが、残念ながら今日の日本語聖書(コロサイ28)では的確に翻訳されていないために初めの第一歩でつまずいてしまいます。ある意味、本格的な聖書神学がなされていないがゆえに的確な訳語を見いだせないのだろうと思われます。唯一、文語訳聖書の訳は的確(小学)です。英語版聖書も明快です(NKJVthe basic principles of the world)。いずれにせよ、用語を脇に置いてクリスチャンとしての第一歩はキリストの福音を信じることから始まります。端的に言えばキリストにあってこれまでの自分が死んで新しく生まれ変わること、その新しさ、その生き方は聖書の基本原則「健全な教え」に基づいて建て上げられるということです。

その大切な学び、訓練の場が「いのちの交わりとしての教会共同体」です。その目標が「キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」(エペソ413)。指導者であるパウロも告白しています。「どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです」(ピリピ3:1112)。

これらの取り組みは神の家族であるそれぞれの地区教会でなされます。各教会で、と言うときに「各個教会主義」を想定する必要はありません。それぞれの家族を考えて下さい。成人男女が神の摂理の中で結婚に導かれ、互いに信頼と尊敬、神の愛情の内に子供が与えられ、大切な子育てが始まります。そして子供の自立、新たな家族誕生、いのちの交わりは広がって行きます。神の家族である教会も同様です。先輩の家族がいれば、また違った励みになります。時には助言を受け、指導、訓戒を受けつつ、直面する課題を乗り越えてきます。教会は家族を建て上げる家族、神の家族として建て上げられていくのです。

 注意したい視点は世俗社会の普遍的原理のひとつである「政教分離」の原則、「信教の自由」等々と混同しないことです。つまり、「神のかたち」としての兄弟姉妹の個々人の尊厳性を認識しつつも信仰の個人主義に陥らないようにすることです。真のいのちの共同体の秩序を大切に互いに仕え、時には訓戒、指導されながら互いの徳を高め合う神の家族を建て上げます。何よりも成熟したクリスチャンの建て上げは、教会ではもちろんこと、教会外でも非難されない、「評判の良い人」を目指すものであり、教会に託された主の宣教大命令を実質のあるもの、福音の確かさを保証する存在となるのです。

指導者も同様で、神の家族には指導者の指導者を建て上げ、主の宣教大命令に応える「牧会チーム」を構成します。そして宣教の拡がりの中で真の「教会ネットワーク」が再構築されていきます。「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です」(Ⅰテモテ315)。

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