2020年5月17日日曜日

解説:基本理解5:「アンテオケの伝統」


基本理解5:「アンテオケの伝統」

「アンテオケの伝統」とは「キリストとその使徒たちの手法」に則った初代教会の主要な三つの伝統の中の一つで、21世紀に全世界規模でこの伝統に戻るためのモデルとなるものである。

 

解説:新約聖書時代、つまり原始キリスト教時代から「奥義としての教会」の拡がり、宣教の拡がりは自然発生的なものでした。同時に集められた真の共同体、教会は福音に基づく生き方を確立していったがゆえに、きわめて魅力的ないのちの共同体として地域へと広まっていったのです。その核となるのは複数世代にわたる家族の建て上げです。堅実に成長する子供たち、奴隷制度はあっても内実、主人と奴隷は兄弟姉妹として一つのテーブルに着く、制度を超えたものでした。その生き方は文化に対する世界的な影響力となり、平行して主の世界宣教大命令を実現していったのです。シリヤのアンテオケ教会は「キリストとその使徒たちの手法」を実現し、後の「アンテオケ学派」として知れる伝統を確立していきました。

 「教会」とは「人の集まり、集会」を意味し、初代教会は「信者の集まり」と解していました。つまり、教会理解の本質は「集まり方、その持ち方」にあるのです。三世紀までの初期教会から、信者が集う目的は何のためであったかを考えると教会の集まりとは、(1)主の晩餐記念のための食事を共にする集まりであり、そこでは(2)宣教と教え、(3)詩篇、賛美歌と霊的讃美があり、(4)町のいたるところ、その家々での集会でした。それらが(5)自然発生的拡がりの主要因となっているです。

集まりの特色に注目すると初代教会の自然発生的な発展にあります。毎週、週の初めの日に、復活のキリストを思い、信者たちが家庭や借家に集い、夕食を中心にキリストにある自分たちの「新しい人生を祝う」という「単純な集まり」に関係がありました。当然のことながらそこには知人友人、親族が招かれていました。

 これら小さく単純な集まりの中心は食事をすることであったのです。これが、初期教会が自然発生的に拡大する糧となったと思われます。まさに「家々でパンを裂き交わりをしていた」という使徒2:24の理解から始まるものです。そして、パウロによって「主の晩餐」に関わる教えが完全に開示され各教会に伝えられた「主の晩餐記念」は世界中でこの集まり(教会)にのみに与えられた代名詞となったのです。この単純な小さな、組織的ではない集まりが教会と呼ばれました。彼らの集まりは、突き詰めて言えば、「ケリュグマ」を実践する共同体でありました。それはすべての集まり(教会)がそうであったと思われます。そして、その集まりの四つの要素として①「使徒の教え」を守り、② 交わり、③ パンをさき、④ 祈りを共にしていたことです。このように主は信者の数を増し加え、四つの要素を持つ、小さな、単純な信者の集まりがローマ帝国社会、言い換えれば世界中に拡がっていったのです。奥義としての教会、神の家族共同体について啓示されたパウロの教会理解は「家の教会」です。つまり、クリスチャン家族、その家族(親族を含む)の集まり、そして「共に食する」 教会ネットワーク、神の家族の広がりでした。

 最初の三世紀、初代教会がスピードと広がりを持って拡大して行った理由は第一に挙げられる主要なものが個々人の自発的な行動でした。教会は回心し人たちが集まりを作ると、その集まりに初代教会から受けた教えの体系、キリストの福音と福音に基づく生き方、その教えを伝えてまとめていくことで、単純に広がっていったのです。まさに聖書の「基本原則」の理解、「聖徒の建て上げ」、そして「委任」です。

 そうした教会の集まりは個人の家でのクリスチャンの集会、ないし、集会のために改装された家での集会はコンスタンティヌス大帝の保護の下に置かれるようになる4世紀の初めまで普通のことでした。その後、バシリカ様式の会堂を建てるようになりました。すなわち、約300年間も、クリスチャンたちは家で集まりを持っていたことになります。小さな家の教会は、友人を招待したり、親族やシナゴーグ仲間、隣人、同僚を訪問して自分達の定期の集会や食事会に来るように誘うことで教会ネットワークが拡がって行ったと考えられます。

イエスの食事の継承:「主の晩餐記念」 共に食するという伝統は、過去には最後の晩餐に、今は共同体での食事に、将来は、ユダヤ人の宴、ないしは、おそらくすべてのクリスチャンが一堂に会する宴に見られるものであると考えられます。

初代教会の「主の晩餐記念」:

1. 主の晩餐を守るために集まった。「主の晩餐」という用語は集会全体を言う言葉として使われていた。

2. 食事の前にキリストの体が裂かれ、新しい契約が今やキリスト教会と共にあることの象徴としてのパンを裂いた。

3.  実際は貧しい人たちのための後援者の食事でもあったが、その食事の主な目的は集会に交わりと家庭(家族)的な雰囲気を持たせるためであった。

4.  食事はグループの一致と一つ心を育てるためにも役立った。お互いの輪、関係を体験的に育み、そのことを通してお互いと神の前に正しい考え、規範を持ち、また神のことばを問答し合った。

5.  一人一人集会に、みことばを教えたり、訓戒したり、みことばからの勧めをしたり、歌を歌ったり、讃美歌や霊の歌を歌ったりと、何か貢献するものを持ってくるものと考えられていた。

6. 集会には秩序があり選ばれたリーダーがその場をリードしたと考えられる。

7. リーダーは教会やネットワーク教会の懸案事項、また福音の拡大のために労している人たちとの語らいの場としても集まりを用いた。(使徒 20:17

8. 集会は地区教会以外の人たちにも開かれていた。 

家庭で、家族的な環境で、食事の交わりを通して、記念として、また真の、個人的な、相関的な双方向の交流をなし、一部儀礼的(パンを裂く、接待式)集まりでもありました。このように初代教会は毎週、週の最初の日の夕方に主の晩餐と呼ばれるものを中心に数時間、集まっていた。この習わしは初代教会の最初の3世紀まで続いたのです。 

集会/食事の内容

 1. 開始:祈りと歌(カテキズム的要素)

 2. パンを裂く

 3. 食事の開始、非公式な要素と公式な要素:「主の晩餐記念」と「愛餐会」

 4. 杯を交わす

 5. 終わり:歌と祈り(カテキズム的要素) 

1世紀と2世紀の初期のクリスチャンは主の晩餐を『愛餐』とも呼んだ。その当時、人々はパンと葡萄酒を宴の中で食していました。しかし、テルトリアヌ(197年バプテスマ)の時代あたりになるとパンと葡萄酒は食事から切り離されるようになった。2世紀の終わりごろには食事と、パンと葡萄酒は完全に切り離されました。さらに4世紀までには「愛餐」はクリスチャンの間で禁止された」のです。

 食事が禁止されると「パンを裂く」と言うことばも、「主の晩餐」ということばも使われなくなり、簡素化されてしまった儀式(パンと杯のみの儀式)は「聖餐式」(ユウカリスト)と一般に呼ばれるようになったのです。こうして「主の晩餐」はもはや共同体の行事ではなくなり、遠くから眺める司祭の儀式となったのです。そして4世紀から5世紀にかけて、聖餐式が祝われるテーブルに対しての畏敬と恐れの念が増幅されていきました。同時に「アンテオケ学派」は歴史の表舞台から消えていったのです。10世紀ごろになると、からだという言葉はクリスチャン用語となり、結果、主の晩餐はパンを裂く祝いをするために共に集まる(教会)という考え方から全く離れたものとなりました。これらすべての流れから「聖体変化」(化体説)という教義が生まれるわけです。この教義は12世紀から13世紀にかけて完成しました(1215年 第四次ラテラン会議においてサクラメントの「全質変化」)。

「キリストと使徒たちの手法」そして「アンテオケ」伝統は(1)「神の家族」としての教会を見える形にする(家族という社会構造:共同体)、(2)集まりに自然な形での交わりの要素を入れる、(3)集まりの中心にケリュグマの心を入れる:宣教(イエス・キリストの良きおとずれ:福音)、(4)慈善家の集まりの中で瞬時に新しい共同体を作り出す:魅力的な福音に基づく「良いわざ」:宣教、(5)単純かつ普遍的、(6)真の「教会ネットワーク」構築していくことです。

 初代教会の自然な拡大は、貸家またはだれかの家に夕食を中心に週の初めの日に信者たちがキリストにある新しい命を祝うために、単純な形で共に集まったことに関係がある、と思われます。 

アンテオケ学派:アンテオケの伝統

1)リソースセンター

2)教会に所属する学者(聖書・神学)

3)会議(発表)、 訓練、 同胞による研修

4)指導者ティーム (使徒的指導者たち)

5)文献、研究論文の発信

6)聖書の原型としてのモデル 

アンテオケの伝統は400年間続き、そしてローマ帝国を変革させていきました。しかし、次第に大事なものを失い始めていったのです。すなわち、

※使徒たちから知識人へ、

※牧会者から 個人的な成長へ、

※新約の実践から 公的な宗教活動へ、

※文字通りの解釈から 複雑な意味(学問的) の追求へ、 

それゆえに私たちは、16世紀宗教改革は聖書の意図に戻ると言う点で大きな影響をもたらしましたが、同時に初代教会、使徒後300年間の教会に戻って「アンテオケの伝統」を再考することが重要なのです。 

参考文献:

Going to Church in the First Century: An Eyewitness Account, provides an imaginative reconstruction well founded historically. R. J. Banks,

Beginning From Jerusalem: The Making of Christianity, Vol. 2, by James Dunn.

The Spontaneous Expansion of the Church by Roland Allen

“Acts and the House Church,” by Bradley Blue in The Book of Acts in Its First Century Setting—Volume 2

Families in the New Testament World : Households and House Church, Balch and Osick,

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