C-BTEの五つの基本概念、
1.「C-BTE」:「教会主体の神学教育」(承前)
2.「委任」という考え方(承前)
3.「建て上げ」という考え方(承前)
4.「ハビタス」としての神学
5.聖書の「基本原則」
最後の二つの概念、「ハビタス」と「基本原則」はC-BTEパラダイムの考え方の中で「なぜ、神学教育か」を中心に考えさせられる基本概念です。
基本概念4.「ハビタス」としての神学という考え方: 「ハビタス」はラテン語 habitus(ハビトゥス )の音訳で「習慣」です。その語意は人の性行に深くしみこんで、生まれながらの性質のようになる、とあります。つまり、「ハビタス(習慣)」の意図することは反復によって習得し、少ない心的努力で繰り返せる安定した行動を生み出すことです。そういう意味では日本語の中にある「習い性となる(ならいせいとなる)」とか、「習慣は第二の天性なり」などは「ハビタス」の意味するところを的確に表現しています。習慣もたび重なると、人の性行に深くしみこみ、ついには生まれながらの性質のようになってしまうということです。「習慣」が人の性行に影響することにおいて、いかに大であるかを示しています。すなわち、「ハビタスとは習慣とすることや実践することで得られる完成、あるいはぶれない状態、情況」です。つまり、人間が理性と思考の追求を通して手に入れた性質ないし気質を意味します。
神学的視点から言えば、神の知識と知恵を追求することで手に入れた習慣がその人の内性、気質、振る舞い、つまり聖書の言う「心構え」(ピリピ2:1~5)となるということです。聖書の中には明確に、信者一人一人が神のことばを真剣に学ぶ者であり、人生のすべての場面で聖書的に考えることを学ばなければならない、という命令が与えられています。福音の核心的な教え、キリストにある「新生」、すなわち神の再創造の御業を正しく理解し、その約束を考え、思い巡らし、そして現実の日常生活において具体化することです。
問題提起: しかし、ハビタスとしての神学について『基本原則を教える』ガイドに以下のように問題提起が記されています。「日々聖書から神についてより深く学ぶこと、すなわち、いかに魂を正しく導くかという知恵を得るはずの神学(聖書、聖書原語、重要な文献の学び等を通して)、またどのような状況にある人にとっても必要な学び(神学)であるにもかかわらず、牧師などの専門職の備えのための学問的な学びに置き換えられてしまっている」(参照:Developed by Edward Farley in Theologia: The Unity and Fragmentation of Theological Education)。
全生涯に渡る発展的な学習: 現代の西洋文明の中で、日本も例外ではなく、私たちは魂の方向性の原則を、学問的知識を得る目的と捉え、専門的な働きをする知的学問の追究に傾斜してしまったというわけです。こうした核心的な問題点を自覚し、聖書に戻って再考するハビタスのプロセスは各個教会共同体での生活、いのちの交わりの中でなされる神学教育の聖書的原則をもう一度確立する方法、手法として提供していることに注目していただきたいのです。しかし、今日のクリスチャン教育が個々人の全生涯に渡る発展的な学習であるべきにもかかわらず、各世代、分断された統一のない教育になっているのが現状ではないでしょうか。「基本原則シリーズⅠ,Ⅱ,Ⅲ」はこうした問題意識の上に編集されています。
知恵: とりわけ旧約聖書が書かれたヘブル語のホクマー「知恵」はハビタスの実際的な定義を見事に説明しています。(知恵)は文字通りには「生きるうえでの技能」という意味で、精神的技能(聖書的に考える能力)と生活技能(正しく人生の選択をする能力)の両者の開発、発展を意味しています。そういう意味で「ハビタス」の手法は普遍的な真理と言えるのではないでしょうか。
私たちの文化の中でも「習慣は第二の天性」という表現があることに触れましたが、ハビタスとは人種、職業、性別等に関係なくすべての人間が一生涯に渡って身につけなければない「魂の方向性」と言い得ると思います。
箴言4章1~9節:
子どもらよ。父の訓戒に聞き従い、悟りを得るように心がけよ。
私は良い教訓をあなたがたに授けるからだ。私のおしえを捨ててはならない。
私が、私の父には、子であり、私の母にとっては、おとなしいひとり子であったとき、父は私を教えて言った。「私のことばを心に留め、私の命令を守って、生きよ。知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。
知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。
聖書の学びが知的学問の習得に終わらせず、同時に神の民としての生き方に関わる知恵を得ることを目的とすることです。(続く)
1.「C-BTE」:「教会主体の神学教育」(承前)
2.「委任」という考え方(承前)
3.「建て上げ」という考え方(承前)
4.「ハビタス」としての神学
5.聖書の「基本原則」
最後の二つの概念、「ハビタス」と「基本原則」はC-BTEパラダイムの考え方の中で「なぜ、神学教育か」を中心に考えさせられる基本概念です。
基本概念4.「ハビタス」としての神学という考え方: 「ハビタス」はラテン語 habitus(ハビトゥス )の音訳で「習慣」です。その語意は人の性行に深くしみこんで、生まれながらの性質のようになる、とあります。つまり、「ハビタス(習慣)」の意図することは反復によって習得し、少ない心的努力で繰り返せる安定した行動を生み出すことです。そういう意味では日本語の中にある「習い性となる(ならいせいとなる)」とか、「習慣は第二の天性なり」などは「ハビタス」の意味するところを的確に表現しています。習慣もたび重なると、人の性行に深くしみこみ、ついには生まれながらの性質のようになってしまうということです。「習慣」が人の性行に影響することにおいて、いかに大であるかを示しています。すなわち、「ハビタスとは習慣とすることや実践することで得られる完成、あるいはぶれない状態、情況」です。つまり、人間が理性と思考の追求を通して手に入れた性質ないし気質を意味します。
神学的視点から言えば、神の知識と知恵を追求することで手に入れた習慣がその人の内性、気質、振る舞い、つまり聖書の言う「心構え」(ピリピ2:1~5)となるということです。聖書の中には明確に、信者一人一人が神のことばを真剣に学ぶ者であり、人生のすべての場面で聖書的に考えることを学ばなければならない、という命令が与えられています。福音の核心的な教え、キリストにある「新生」、すなわち神の再創造の御業を正しく理解し、その約束を考え、思い巡らし、そして現実の日常生活において具体化することです。
問題提起: しかし、ハビタスとしての神学について『基本原則を教える』ガイドに以下のように問題提起が記されています。「日々聖書から神についてより深く学ぶこと、すなわち、いかに魂を正しく導くかという知恵を得るはずの神学(聖書、聖書原語、重要な文献の学び等を通して)、またどのような状況にある人にとっても必要な学び(神学)であるにもかかわらず、牧師などの専門職の備えのための学問的な学びに置き換えられてしまっている」(参照:Developed by Edward Farley in Theologia: The Unity and Fragmentation of Theological Education)。
全生涯に渡る発展的な学習: 現代の西洋文明の中で、日本も例外ではなく、私たちは魂の方向性の原則を、学問的知識を得る目的と捉え、専門的な働きをする知的学問の追究に傾斜してしまったというわけです。こうした核心的な問題点を自覚し、聖書に戻って再考するハビタスのプロセスは各個教会共同体での生活、いのちの交わりの中でなされる神学教育の聖書的原則をもう一度確立する方法、手法として提供していることに注目していただきたいのです。しかし、今日のクリスチャン教育が個々人の全生涯に渡る発展的な学習であるべきにもかかわらず、各世代、分断された統一のない教育になっているのが現状ではないでしょうか。「基本原則シリーズⅠ,Ⅱ,Ⅲ」はこうした問題意識の上に編集されています。
知恵: とりわけ旧約聖書が書かれたヘブル語のホクマー「知恵」はハビタスの実際的な定義を見事に説明しています。(知恵)は文字通りには「生きるうえでの技能」という意味で、精神的技能(聖書的に考える能力)と生活技能(正しく人生の選択をする能力)の両者の開発、発展を意味しています。そういう意味で「ハビタス」の手法は普遍的な真理と言えるのではないでしょうか。
私たちの文化の中でも「習慣は第二の天性」という表現があることに触れましたが、ハビタスとは人種、職業、性別等に関係なくすべての人間が一生涯に渡って身につけなければない「魂の方向性」と言い得ると思います。
箴言4章1~9節:
子どもらよ。父の訓戒に聞き従い、悟りを得るように心がけよ。
私は良い教訓をあなたがたに授けるからだ。私のおしえを捨ててはならない。
私が、私の父には、子であり、私の母にとっては、おとなしいひとり子であったとき、父は私を教えて言った。「私のことばを心に留め、私の命令を守って、生きよ。知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。
知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。
聖書の学びが知的学問の習得に終わらせず、同時に神の民としての生き方に関わる知恵を得ることを目的とすることです。(続く)
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