2017年9月7日木曜日

「パラダイム」の意図

「C-BTEパラダイム(paradigm)」という表現を用いることに、特に「バラダイム転換」との表現には違和感、ないし拒否感を抱かれる方々もおられるかもしれません。聖書理解とか神学の分野で「パラダイム」を用いることが適切なのかどうかの議論は別として、「パラダイム」を用いる表現の意図を紹介しておきたいと思います。

「コペルニクス的転回」?:多くの方にはすでに存知のように「パラダイム」という用語は科学哲学者トーマス・クーンによって提唱されたものです。当然のことながら科学史及び科学哲学上の概念で、その視点から私たちの聖書理解、キリスト信仰、特に神学教育・指導者育成において「パラダイム転換」が必要だ、との提示は現在の理解、取り組みに対する全否定という印象を受けかねません。大げさな言い方かもしれませんが「コペルニクス的転回」ほどの転換要求です。必然的に「上から目線」を感じられる方も少なくないと思います。

一般化された「パラダイム」: 適切であったのかどうか判断しかねますが、クーンの提唱した「パラダイム」という概念は後に一般化され、一時代の支配的な物の見方や時代に共通の思考の枠組を指すようになりました。私たちはそういう意味での「パラダイム」を使用しています。つまり、パラダイムとは特定の共同体に所属する人全員が共有する信条、価値観、手法等について言うものです。例えばバプテストに属する人たちの全てが共有する信条、価値観、手法等をパラダイムと言うわけです。とは言え、決して一元的ではありませんが。

類型: パラダイムの類型として①小局的分類( Microparadigms ):個別の問題(例:頭を覆う)、②中局的分類( Mesoparadigms ):伝統全体(例:形・制度の廃止)、③大局的分類( Macroparadigms ):時代全体(例:宗教改革時代、啓蒙時代、ポストモダンなどが上げられます。
 最近では日本語にも翻訳されているボッシュの『宣教のパラダイム転換』とかハンス・クングの「神学と教会の歴史のパラダイム変化」等に扱われているキリスト教史における「パラダイム」の変遷の捉え方は参考になります。

聖書のパラダイム: そうした中で私たちは改めて聖書のそのものの「パラダイム」に注目し、今日の文化の中で教会の建て上げ、宣教をどう展開できるのかを考えようとしています。それが C-BTE(Church-Based Theological Education)です。しかし、実は、これは目新しいものではなく、聖書の規範、すなわち「キリストと使徒たちに手法」に戻ることです。つまり、C-BTEと言うパラダイムは「キリストと使徒たちのパラダイム」に注目しているということになります。そうであれば、誰もが持つ聖書に真摯に向き合って再考できるパラダイムでもあるわけです。聖書の記述、規範、その意図に基づいて真偽を確かめることができるパラダイムでもあります。

C-BTEパラダイムは以下の五つの基本概念にまとめられます。
1.「C-BTE」「教会主体」という考え方、
2.「委任」という考え方、
3.「建て上げ」という考え方、
4.「ハビタス」としての神学、
5.聖書の「基本原則」から成熟へ、

さらに順を追って説明したいと思います。

                    

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